それなりに繋がる
それなりに繋がる
「それなりに繋がる」ということは、その対象、ネットワーク的に言えばノードが「それなりに
信頼できる」ということを前提にしていると言えそうです
「それなりに
信頼できる」ということについては「
2020年のアレ」で june29 サンが「2020年のアレ」になぜ参加しているのかみたいな感じで言っていたような、いなかったような
「それなりに
信頼できる」ということは「それなりに正確である」ということでもあるし、ということは「それなりに間違っている」ということでもある
「それなりに善良」であり「それなりに邪悪」であるということでもある
こういうことも受け入れるべき多様性だと思うんです
「それなり」さ
それなり
新明解国語辞典より
(1) 途中で放置され未処理(未解決)のままの状態が続いていること
(2) 十分ではないが、予測された程度に応じたものだと評価できる様子を表わす
それなりけり
最後の決着を付けず、それきりおしまいにすること。そのままほうっておくこと
「それなり」に含まれる「いい加減さ」の成分はなにか?
「それなり」と「信頼のアーキテクチャ」
信頼できる行動を奨励するために使う4つの方法
4つの異なる「信頼のアーキテクチャ」
4.
技術への信頼 trust in technology (
分散型信頼 distributed trust )
これが一番近いかなあ。みんな顔見知りなので。
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システムとして問題を解決していることはないので、これはないかな。Git でテキストを管理することで、へんなことされてもロールバックされる、というのはできるけれど、一方で、それがなくても成り立つ程度のクローズドサークルだったので。
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この話は
懐古と復興 の話に繋がっていて、それはインターネットというかプラットフォームに対する信頼(不信)、という反応だと思ってましたけどね。不信への裏返しとしての信頼
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技術への信頼、というのが、いまは
分散型信頼、
クリプト? [トークン]? という形で現れているだけで、時代が変われば違う技術がそれにとって代わられると思うんで
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「それなり」というそれなりさを満たすための
技術への信頼であれば、もっと簡素な技術でも信頼が高められると思うんです
意図してないことがおこらない、という程度の信頼はあったかも
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(実際のところ信頼がなにに依るのかわかっていない)
参加者と主催者
ある参加者とそのまた別の参加者
今回の参加者と以前の参加者
参加者だけじゃなくて読者も
読者と主催者
読者と参加者
読者と読者
インターネットのアドベントカレンダーという制度に対する信頼?
ベスト・オブ・ザ・イヤーという「それなり」なルールに対する信頼?
参加者A ⇔ 【主催者】 ⇔ 参加者B
参加者A ⇔ 【参加者B】 ⇔ 主催者
参加者A ⇔ 【参加者B】 ⇔ 参加者C
友達の友達は友達?
参加者も仲介者たりうる
読者は?
blog への信頼?
インターネットへの信頼?
信頼ってなんだろう?
note:
ブルース・シュナイアー