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創作思い悩み記録
たぶん継続的に一つのページで考えるようにしないと出てこないので

2024/10/16
頭の中に保持されたアイディアやイメージの多さ それらを浮かべたもの そこにあるうちは書けるけど、これらを再度呼び出すのに苦労する
ほんとうはこれを呼び出せるようにプロットがあるのだろうが、あきらかにプロットと脳内イメージを比べたとき、脳内イメージのほうが情報量が多い。
これになにか、名付けたいところだな。核というか、そういうもの。
2024/10/15
きのうから、即興小説を毎日かいてみよ~よ!の感じをしている
自己満足を重視して自分で食べる。
昨日のもの(秋風)はちょっと展開の無理やりさがあったなと思っているけど、今日書いたやつ(処方)はわりとスムーズに書けたなァと思う。最初からコンパクトにしようと思ったことと、シーン切り替えを使えたからだろうけど。
時間軸を表現するのに、思考とかを続けて書いていると、「書いた文量」が時間軸になってしまうわけだけど、そのへんをぱっと済ませれば切り替えを挟むことで時間経過を表せる。このへんのことは考える余地がありそうだ。テクニックとしてもそうだし、なんか自分が書くときに「長すぎ……無理……」にならないためにも、行間がどのぐらい展開を込められるのかというのは把握しておきたいかも。
即興小説アドリブでやってるから当然なんだけど、思ってたルートと違う着地になることがある。処方はわりと頭で考えてたものと違う着地をして、でもキーワードには沿ったから、やったね、って感じ。
いや、これなんだよな。ばーっと書いて、思ってたのとは違うけどよりテーマに合った終わり方をしたね、というのが……文脈を保持することの力
2023/09/26
昨日の調子の良さを取り戻すかのようになにもできやしません。おわりだ。
捨て去るということはときには大事
指針を失ってなんかよくわからん方向に進みそうになってたが、この話ってそういう感じで作る話ではない気がしてきたので、考えたことをもとにしつつもキャラクター的な部分はざっくりと削ることとしたい。
なんか使えるところは使うけども
いや、だから、逆なんだよなたぶん。ここまで考えたから春に関して削ることができるようになった。
つまり、「元々こういう話があったはずだ」というのが出来たので、「それを語るときにはこのぐらい削られるだろう」ということが出来るようになった。
だから他の部分に関しても元々の話を考えればわかるはず。
だめだ!負けを認めて帰ります。
イヤホンもないし、今日は元々負け戦ぎみだった。
敗戦処理(ひとまずの指針)はできたからもういいだろう。
2023/09/25
紙に書くことを面倒がらない
14:24あたり、ノート広げて書くことである程度の整理と発想ができた
目の前のインプットによってアウトプットが操作されるわけだから、一直線+ツリー構造のScrapboxは発散に向いてない?
ぼくのやり方は散逸的なアイデアをつなげるやり方だから、その繋げ方をするにはノートのほうが向いているのかも
注意散漫なのでScrapboxだと「新しいページ」開いた瞬間忘れるし、単一のものとして出来上がってない着想を並べることが難しい。書き心地が違うし、書くものが違う
ツールによって書きかたが規定される
そういえば、書いてたときはノートを持ち歩いてそれにメモを続けてて、プロットはデジタルのテキストを書く、みたいな感じだったかもしれない。
創作してるときのことを残してない+過去のことを覚えていないが出たな
2023/09/20
空想が回るようになってきた。あまりにも間に合わなそうではあるが。
この空想が大事なんだよな。これによって手触りを確かめられるようになる。
具体的には、キャラクターのセリフややり取りを通して、シーンの構築ができるようになる。
手触りを確かめるには、まずキャラクターのエミュレートからかも。
まだ春の話を脳内でも終わらせてないんで、なかなかキツいな。
そもそも一つの話の中に四つも五つも話を組み込むな
でもやりたいと思ったんだも〜〜〜ん しかたないじゃーーん
2023/09/08
小説が「面倒なもの」として位置してるから駄目なんじゃない?
脳内で“小説家になりたい”と“小説なんてしち面倒くさいもの書いてられない”がよぎって、それをメタ認知してきづく
ハードルの低下のさせ方
ふむ。最近だと後片付けは開始のハードルを下げるためにあるというのに気づいたわけだけど。
再開のためのメモ書き。cxじゃん。
しかもこれを展開としてメモるのではなくて非言語過程を再現するためのメモとして、考えてることを書いておかないとだめか。
ふむ。書くのメンドウだな。というか、小説書くのにノイズになる。動画を撮れば良いのか。
そのあとで、高速で見返しながら、どうこうする。
これ前にも書いた気がする
2023/07/15
創作の原動力になる感情
怒りとか切なさとか、あるいは脳の奥が痺れるような感覚とか?
ローな状態と感情の爆発……?
いやでもやっぱときめきが一番これよ!!!ってなるよな ときめきとも違うか 脳の奥の痺れは快楽だから、これが失われないように書きたいところがある。
どうでもいい作品を連載で持つ
エモいのが書きたいけど明らかにコメディのほうが得意だろうと思う、すんなり会話成立するし。
てことは、どうでもいい何も考えないで書けるコメディ作品を連載で持ってた方がいいなぁ。
どういうのがいいんだろう? 与太話みたいなのを永遠に続けるやつなら書けるかなぁ。
ない話得意だしそれでいいのかもしれないな。

2023/07/14
文章を書いた。わりとすらすらと。省略が許されることが、今書きやすい文体の鍵なのか?
短歌で使う文章は圧縮と省略によって出来た、余白を必要とする詩的な文章だ。それを流用するには、余白を許容して、なにか……そのような言葉回しでも許される文体が必要なのかもしれない。
そうか。三人称的なんだな。視点が僕に寄りすぎているから、あまり一人称に適合しなくなっているのか。あ〜……
自分の言語活動を定期的に振り返るのが必要、ってことか。
確かに最近は個人の中で完結してもいい、というような感覚で文章――短歌とか、ここの記事とか――を書いている気がする。孤独に文章が適応してきているというか。
そのズレがスランプになっているのかな。一人称の人物と僕の視点、わりと違うことあるもんな。
線分を超えて、風になれ。の視点主はあきらかに怒りと光の人間だし、今の僕はわりと諦観と切なさと陰みたいな感じだよなぁ。
光の中へ踏み出す希望があるんだよな。高田にはさ。
2023/07/13
2018年に書いた、初期衝動についての考察を見る
思考に関する自己表現と、美しいものに関する審美表現、という話が書いてあった。
この2つによって創作、小説が生まれると過去のぼくは言っている。
現在、思考に関するものはScrapBoxで、美しさに関するものは短歌で表現している気がする。
この別れ方……それぞれがそれぞれのまま消費されてるのがよくないのだろうか?
小説を書きたくて仕方がないけど、もしかすると書いて公開することについてはあまり積極的ではないのかもしれない。
ぼくは勝手にぼくと同じくらいぼくの小説を読んでくれる人を求めていて、でも同レベルの読み手の不在があるから、読まれない。
ならばぼくはぼくの中でそれを完結させれば良いのではないか、わざわざ書き起こす必要なんてないんじゃないか、みたいなことを思う
そもそも小説という形になるのは、僕がとても臆病でずるいからだ。人に伝えるときに、作品にしないとどうしようもないからだ。
人に伝えないなら――つまり、作品にしないなら、ぼくはそのまま素直に心の有り様を表現できるし、実際、わからないだろうと思いながら書く短歌はたくさんある
でも、やっぱり小説を書くのが好きなんだよなぁ。どうしてだろう。ずっと考えてる。ずーっと。
叩きつけるように叫べばいいのに。細かなところまで彫って浮かび上がらせようとしてる。

2023/06/30
VCでかなりヒントになった。
いやそう、流れなんだよ、流れ。
即興小説が「書いてない」になるのはマジで流れが自動的で、もはや自動記述的執筆になってるからなんだよ。
自動記述で書いたものは僕が書いたものじゃないし、それは小説じゃなくてただの文章の羅列なんだよ
線状のものを繋がらせるの文脈で言うなら、この線に意志がないんだよ。
僕はわりと刺繍的な文章だと思うけど、刺繍の糸に意志がなかったら、それは「たまたまできた模様」以外の何物でもない
そう、書けない理由は流れ。流れのやり方がわからなくなるから。
基準がないとだめ。あるいは羅針盤のようなもの。
制約ではまだ足りてない。制約の中を泳ぐ羅針盤が必要
それはつまりテーマであり、テーマの奴隷になるということ。
好きなことを書くのはいくらでもできるけど、それで伝えたい一本の軸ががないと絶対に途中で諦めることになる。
あるいは、根本のところの満足がないまま書き上がってしまう。
経験から言って確実にそう。楓の蜜紅葉落ちればも書き上げられて満足だったのは軸があったから。
「きみはこうしてもいいんだよ」ってこと。呼びかけるような、そういうテーマ。
ポエトリーリーディングだ。ポエトリー!!!
そうか!!!!ポエトリーには呼びかける動作と伝えたいことがある!!だから好きなのか!!
これが僕の世界観とか感性とか価値観とか創作とリンクするからだ!
根本は優しい問いかけなんだ。呼びかけ。問いかけて呼びかけて、「こういうのもいいとおもわない?」と言えることだ
あ〜〜〜〜〜〜!!!くそ!!!ひらめきそうなのに頭が痛い!!!!なんやねん!!!!
いや絶対この方向 この方向で悩んでたら絶対なんかある なんかでる
「そうか、そうやって書くんだ」と思えるヤツだよ そう
だからプロットのたてかたも考えた方がいい
完全にテーマから逆算した上でのプロットのほうが絶対にいい
最近人間にどうしても伝えたいことを集めておくことが大事で
そんでそれはポエトリーとか短歌にある!!!!!!!そうじゃね?!?)????!
なんかそこにある、この、これをさ!!!裏側にあるこれは多分短歌とかなんとかじゃなくて“僕”の部分じゃん!?
だからそれをなんとか分析とか抽出とか抽象化とか具体化してなんとかテーマとして人に言いたいことにするんだよ!!!
世界を美しく塗り替えるって思想はそのまま、それをもっとメタ的な、作家性としてとか文体としてのテーマにしといて
テーマとしてはもっと素朴になっていいのか 「自分を責めないで」とか そういう 僕が怒りを感じるような
ゆるせないこととか、嬉しかったこととか、そういうのを小説にするのか
希望だ 希望じゃない? 希望と祈りになるのでは?
あっちょっとマジあーーー!!!ぜんぜん書きかけのは終わらなくなりそうだけどありえそう!!
新しいの書くわ!!それでためしてみよう!!すまんなお前ら!!もうちょっとまってて!!
再会とか、案外世界は僕を忘れてないこととか
あっ!!!!完全に書ける 旅人の話になるもんこれ
なんかわかんないけど、「どこにも所属していない」とか「誰も覚えていない」と思って彷徨っていた旅人が、時間が経った後にそこへ赴いて、実は風習とかとして残っていて、心がふわふわした感じになるような、そんなんだろ!?
詰めたら書ける 長くなるよこれまた!!!も〜〜〜〜〜〜!!!!!
ねる!!!!!!!!!!!!!!!
最近考え事しすぎて頭重いから瞑想じみて寝る!!!!!!
2023/06/23
小説をまた書くようになりそうなので、もう一度これを動かそう。
線分を超えて、風になれ。、全然書いてなくて、去年の8月から動いてない気がしてたが、なんだかんだ二、三ヶ月前に書いてたんだな
忙しくて書いてない(というより、それ以外できなくなるを防ぐためにやめてたかも)
体力と時間があるときじゃないと小説書けないよな、小説書いてると小説書く以外のことできないから
創作関係のタグを見直すをちょっとやった。結論としてやはり、自分が小説を書くときの手順を分解するのがよさそうだとなった。
エンジニアの開発日記みたいに、並行して呻くこと、記録に残すことが大事なのかもしれんな。
とりあえずリハビリでまた即興小説書こうかなぁ。てか、〈錆びた悠久は、遠く。〉のあとなにも書いてないんだっけ??
短歌と、あと脳内のポエトリー・リーディングがずーっと流れてるきがするなー
あとVRMMOものを読んでいてVRMMO『LED』の像がまた実体を持ってきたので、ちょっとだけメモに加筆したり、残ってるメモの不完全さをどうにかしたいなと思ったりしていたと思う。
線分を超えて、風になれ。をやって、あと冬の夜珈琲のやつをいい加減書き始めたい
今びっくりしたんだけど、ちゃんとしたタイアトル決まってないんだな。仮タイトル(冬の夜に空き缶珈琲越しの学び舎)はあるが、たぶんこれ今ひっぱってくるのを躊躇ったのは、短歌としては気に入ってるけどプロットやってる間にちょっとずつ書きたいことがここからズレてるからだろうと思うな
解釈したらズレてはない気もする わからない そもそも存在してないからずれるとかずれないとかなくない??
いやたぶんこれが原因でプロット止まってるんだろうな。核とかストーリーラインの詳細度みたいなのがなくて、ふわっとしたまんまなので、「相談」をメインとして書くこの話が書けない
相談が起こるためには相談する事情が必要なので
事情の感情的解決をするための方策が夜歩きなのだからなぁ~~
書いてて思ったけど、なんか「具体的な解決」みたいなのを考えてるから冬の夜書けないんじゃない?そうだよな、感情的解決と実際的解決は違う
ほう 経験が生きたな(臨床心理の技法の勉強してたのが今の直観の元なので そうだよな~~)

2023/04/06
書き上げたいな~と思ってたがなんか全然むりだった
片付けしてたわ
26時から向き合うことにする
やりたくね~~~(やりたくないわけではないが、昨日のテンション感とくらべて出来なさそう感が強い)
昨日とノリが違うんだよな 朗読やったからというのもあるけど
昨日は「ここまで書いてたらいつでも書けるわ!ガハハ!」と思ってたはずなのだが……
1時間やった。最後のシーンの流れをメモった。
というのも、多分↑にある「書けなさそう感」は昨日持ってた最後のシーンの流れを損失していることによるからだろうと思った
昨日もそうだったが、本文で詰まったときは大体どこかの骨組みが足りてない。
シーンのイメージであるとか
登場人物の感情であるとか
設定であるとか
だから、たぶん、書きながらメモって整理してったほうがいい
特にまともにプロットがないようなやつはそれが重要になってくる
本文を書いてると整理の必要性に気づくみたいなのもあるので、プロットで全部完成させるみたいなことは考えなくてもいいが。
あーでも段々思い出してきた、今1万文字超えてるから、このレベルの文字数の小説をどう書くかみたいなやつが表出されてきている
これを言語化して別ページにまとめていくのが良いと思う、実際の書き方として
映像がないと満足いくものにならないとかもそうだよね多分
だから、イメージを呼び出す儀式みたいなのを必要としてるんだな
それは書き写しでもいいし朗読でもいいんだけど、とにかく作品世界のイメージをきちんと掴める、想像できるようになるための手順が必要になってる
一旦保管を試してみようかな。最近記憶術の動画見たし。
あと、cmanは前半に出てきた描写が後半に出てきて繋がるやつがめっちゃ好きなので、これをやるために文章をストックしておきたいところがある
続けて書いてるとちゃんと前半の文章が自分の頭の中にも手の動きにも残ってるんだけど、一回でも中断をするとそれが出てこないんで苦労する
苦労するっていうか興奮ポイントを一個失ってテンション上がらない
中断しつつこれが出来るようにするってのどうするかは考えたいところ
継続的に向き合ってるのであればわりとイケるのだろうか?


2023/04/05
いける感じがしたので放置されてた小説を書き始める
放置されてたものをもう一度書くには、書き写しながら修正していくのがよい
そのまま続きから書くとどうにもノリの合わない文章になる気がする。
その時その時で手癖が違うからだろうと思う。
書き始められたのは即興小説のおかげだろうと思う
やはり小説用の文章を出力する感覚は一度思い出さないとなという気持ち
放置されすぎた水道みたいに、錆が出てきて、流れが詰まってるので、それを落とす作業だ。
乗ってるうちに書いちゃいたいので、起きたらやろう
2023/04/06の5:59まで起きてたのでムズいだろうが
まぁあとはいつでも書けるとは思う(筆が乗るとこなので)
2023/04/02
即興小説を書いた
肯定感はイマイチ出ない。
たぶんぼくは自分の作ったもので狂ってほしいし呪われてほしいんだよな
ぼくが“ほんとうに”ヤバいものにであったときってそうなるから
でも同レベルの読み手の不在があり、同じようになることはない
そもそもヒトには特性があるので……そう上手くはいかない……
オタク、冷静にならないでほしい
2023/03/28
深夜のVCで良性のキレを得て、やりたいことが明確になってきた感じがする。
これはほんとうに、直観は否定するが起きたなと思う。本当に助かった。
「何もわかってねえ」って言いたくなるような語り手は必要だな……(悪口じゃない)
soさんと話してると深みに入るんだけど互いのことなんか感覚と感性と直観で理解し合うから否定の入る余地ないんだよな
キレたログ
お前らも狂え、世界に対して
ときめいてると生活できないを世界に対して全員が感じろと思う
お前ら、生活するな。マジで。
あ〜〜〜〜〜そこにある息遣いなんだよ、世界の息遣い。それが純なるものであって魂なんだよね 魂っていうか 全部ですよ 全て 全てはそれなの。わかる?世界の息遣いを感じるってことが“全て”だよ。その時そこにはこの世のすべてがあったのだ。なの。わかる?わかるに決まってるよな?は?わかるに決まってるくせにわからないみたいな顔してるのは説明が足りないんだよね?わかった例示するね。これが小説です。

2023/03/27
最悪になってしまった。
これはつまりほんとうってこと
楓の蜜では楓がそれを満たし、瑠璃はそれに打ち砕かれた
望んだ破滅に向かうことを打ち砕かれて、望まない幸福さに歩むことになる
一般的幸福と主観的幸福とメリバ
人間にあてた当て書きの一人劇みたいなの書きたいな
そう、その、ぼく直観なんだよな
思考を働かせることは好きだけど、答えはいつも直観が持ってくる
思考を働かせることによって、直観が来るのを待っている
「あー…………あ?こうじゃね?」になる瞬間が好きなんだよな
直観を上手く呼べる方式があればよいのかもしれない

2023/03/26
夜勤中に創作の極意と掟をTalkBackで聞く
なんか書ける気もしてきてる
必要なのはこの中で色気と呼ばれてるものや凄味と書かれてるものだろうか?
情景描写の色気と意識の流れ
情景に色気は欲しいというか、よく言われるよなぼくは
描写がえっちであること(オタク翻訳)かなァ
情景描写がえっちじゃないわけないんだよな(?) あらゆる情景はえっちだから
なんて????(でもそうなんだよね)(そうじゃん)
そこにあるものを感じている息遣いそのものがえっち
なにせぼくは“存在する”とか“生命活動している”ということに興奮するオタクなのだから……
根本ってここなのかな?ハレゼナちゃんに狂ってるときも存在を感じる
成長ってその世界に生きてるという息遣いじゃん。そうじゃない?
存在すると思ってなかったものが生身として眼の前に現れたときの衝撃と興奮みたいな?
感情もそうかなぁ。一側面ではあるけど。感情が表に感じられるということは、そこに存在して、感じて、心があり、生きてるということなんだよな
少なくとも、作劇意図が透ける展開が嫌いなのはココかなぁ。作者によって操作されるキャラクターって“存在”はしてないもんな。息遣いがない。
あー、考えると、息遣いが感じられないものは書いても納得行ってないかも……?
楓の蜜とかは適切な省略でなかったと思ってるし、紅葉落ちればは桜小路奏の人間さが足りないような気がする
情感と存在なんだよな 情感と存在……息遣い……
あなたが生きているということを、僕が描く登場人物は非常に重く、とくべつに見ている気がする
だってそれって尊いことじゃんか。眼の前に心臓がぎゅってなるほどとくべつな人がいて、その人に体温があって、鼓動があって、息をしていて、声が震えて……そこに存在してて、生きてるってことが、同じ生命を持ってるってことが、頭が熱を持って白く支配されるくらいかけがえがなくて尊いことじゃん。
インプットした途端にめちゃくちゃ思考回るようになって草
2023/03/25
あとで自分の書いたの見直してみようかな