世界の霧を晴らすような生き方
要約:
「人生の目的」とか「生きる意味」は存在しないと認めた上で、それでも何かを信じたい
自分は、人生において「したことのない体験をすること」に意味を見出す価値観を信じている気がする
色々な事を学んだり、色々な場所に住んでみたり、色々なものを作ったり、色々な感情になったりしたい
「
世界の霧」というアプリの世界観に影響されたので、これを「世界の霧のような生き方」と呼んでいる
本文: 20230205
紆余曲折あって、今は「世界の霧のような生き方」が
自分の
人生観(?)だなと思うようになった
ので、それを改めて書いてみたい
まず、前提として絶対的な「人生の目的」とか「生きる意味」は存在しないと思っている
「幸福を追求したい」と言っても、幸福の絶対的な定義は存在しない
その上で、何も信じないよりは、何かの価値を信じて、
意思決定や
行動の
基準としたいという気持ちがある
何を信じるかというところで、自分は「世界の霧のような生き方」という価値観に最近は落ち着いている
「世界の霧のような生き方」とは何がいいたいのか
通ったところの「霧」が晴れていくという
ライフログアプリ
それだけなんだけど、このシンプルな仕組みが自分の行動を大きく変える
例えば、
普段歩いたり移動する時に、霧を晴らすために「普段通らない道を通ろう」と思う
すると、見たことないものが見れたり、新しい体験をするきっかけになる
逆に、道を間違えたり電車を乗り間違える等のトラブルも、「霧が晴れる」体験として価値を見出すことが出来る
この価値観を自分の人生観に一般化したものを
「世界の霧のような生き方」と言っている
自分は、人生において「したことのない体験をすること」に意味を見出すという価値観を信じている
色々な事を学んだり、色々な場所に住んでみたり、色々なものを作ったり、色々な感情になったりしたい 大きな選択とかでも、今日の昼飯何にしようみたいな軽い選択でも
例
メニュー選ぶ時とか、これを選んだら10分後にどうなってるか分からない方を選ぶみたいな
食べたことのあるオムライスより、聞いたことのない名前の料理を選ぶ
人生において住む場所を選ぶ時に、住んだことのない場所を選ぶ
色々な作品(小説、漫画、etc)を読んで、色々な感情になりたい
この価値観があれば、多少のトラブルは「新しい体験」としてポジティブに捉えられる
世界の霧で「遠回りの道を選んでしまっても、まあ霧が晴れるし良いか」と思えるのと同じ
例:
スマホ無しiPad無しで東京一人サバイバル 20210626
これは、結構目指している事の達成が楽な価値観だと思っている
少なくとも「お金持ちになる」とか「出世する」とか「幸せになる」よりは、その達成の環境要因が少なそう
逆に、どんな時に「世界の霧のような生き方」を保てなくなる?
「体験したことがないこと」を選択する自由がない時、かな
世界の霧のたとえで言えば、ロックダウンで家に篭らないといけない場合、みたいな
ただ、人生においてその自由が全くないことは少ない気がする?
(少なくとも人生の進め方を自分で制御できるなら)
例えば刑務所に入れられたとしても、読書ができればそれなりに新しい体験を楽しめると思う
これは僕が刑務所に入ったことがないので楽観視しているだけかもしれない
余談:このプロセスを客観的/メタ的に捉えると、
意思決定の時に毎回自分の選好を内省するより、ある程度固定化・一般化した指針があった方が楽、みたいな実用的な理由がありそう
「世界の霧のような生き方」を信じようと思った理由:
選好自体は流動的・曖昧なものなので、それを抽象化・固定化したものを「信じる」ものとしている? それに辿りつくまでの自分の中の経緯/文脈がある
etc
自分の意思決定を正当化できる
などがありそう
合わないかもしれない
2021/9
下に書いたこと、正確には少し違うなと思った
世界の霧の楽しさも、ただ新しい空間に移動することではなく、そこで新しい発見をする事
ずっとこの文章について引っかかっていたことが解消できた
2021/4
自分がどういう生き方をしたいかという点で、
世界の霧の世界観が結構近いかもなんて思っている
できる限り多くの体験をする、という事を目指して生きる
新しい体験をすることを幸せに感じる
徒歩/自転車でじっくり近場を晴らしたり
電車とか車とかで大きい道を高速に晴らしたり
旅行で行った離れた地域を短期重点的に晴らしたり
新しい体験をする事を目指していれば、たとえ何かトラブルがあったとしてもそれを「新しい体験」としてポジティブに捉えられる
(ex: スマホ無しiPad無しで東京サバイバル 20210626)
世界の霧で「最短経路では無い道を選んでしまっても、霧が晴れるからストレスが生まれない」ってのと同じ
- 新しい体験をする事を目指す、について
何かを選択する時に、実際のところ「これで新しい体験を得られるかどうか」ってあんまりわからない
追記、いやある程度わかる気はするな
なので、選択の時点で「新しい体験っぽいもの(preciseでない推測)」に固執するのではなく、後から選択/経験を振り返る時に「新しい体験ができてよかったー」と思えれば良いのかなと思った
追記、これはそう
「できる限り多くの体験をする」というのは、それ自体が目的ではない気がするな
楽しさ、ワクワク、
感動、混乱、その体験を通じて得られる色々な感情
> この件を考えていて少し発展した。なぜ「移動」が重要なのか。人間の観測範囲は限られていて、遠くはよく見えないし、限界の外のものには気づけない。移動はそれまで見えていなかったものを見る機会で、当初の問いだった「選択肢をどうやって知るのか」に対する有益な手段の一つ https://t.co/rUv1Jtszr1