他人の意見と同じく自分の意見も尊重する議論
他人の意見を
尊重するのと同じくらい、自分の意見を尊重し、徹底的に議論したほうがいい
経営家の
ファレットは、「
寛容こそが全てですよね」と言われたとき、それを否定してこう言った。
「寛容な人」は反対意見を言われると、自分の意見を簡単に引っ込めすぎ
相手の意見を尊重しよう尊重しようと思う
ここでは意見の「尊重」は、相手の意見を認めること・それを優先的に扱うことと同一視されている
このとき、引っ込められた自分の意見の方は「尊重」されていない
自分の意見も他人の意見も尊重して本当に納得するまで話したほうがいい
互いの意見が実際に変わるまで議論した方がいい
実際に相手の意見が自分と同じになるまで議論するか
ファレットが主張している。
自分の意見をそのまま通してもだめ、相手の意見をそのまま受け入れてもだめ
お互いがお互い自身の意見に固執するかぎり議論は水平線をたどる
片方がすぐに折れるのは徹底した議論ではない
お互いが共に納得できる第3の意見を作り出すといい
これを目指す議論はクリエイティブなものになる
議論する人のそれぞれが「この対立から何か生み出せないだろうか」というスタンスを持てばいい
これは難しい
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相手の意見を変えてやろうと考えがち
自分の意見を通すことしか考えない
自分の側で意見を変える気が最初からない
自分の意見を変えたようにみせてその場を収めようとしがち
「はいはい、あなたが正しいです」
「そういう考え方もありますね」
「相手の意見を尊重する」とは「相手の意見を肯定する」という意味に限らないのではないか?
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前提:「意見を肯定する」は「相手の意見を認めること・それを優先的に扱うこと」を指すと解釈する
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