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人は何をやっても不幸を感じる生き物なのか?
傾向性として、無意識で不幸を見出そうとしてしまうものなのか?

uvoa何か自分の手帳に書いてあったので。
私の考えではYES
気を付けていないと人間はデフォルトで不幸やネガティブな要素を見出すような気がする
やはり、意識してポジティブになるモードも実装してメンテナンスしておかないといけないな

くま子
個人的にはNo
自分もウボァさんと似たタイプだけど、ネガティブなことばかり考えてしまう人はそういう認知の癖がついてしまっている。
それを修正できるようになるかは分からないが、少なくとも「気付き」によって考えないようにすることはできると思っている。
uvoaなるほど、後天的なものという感じですかね?
くま子おそらく遺伝的なもの(先天的なもの)も含まれるんじゃないかな。環境的な要因(後天的なもの)も大きいと思っているけれど。人によって分泌される神経伝達物質の量とか違うんじゃないかとか思っているけれど、そういう本をまだあまり読んでないからからよく分からない。この辺の議論はややこしいですよね。cf)親ガチャ論
uvoaあー遺伝的要素はそうですね。要はすべての人に当てはまるわけでも(また同一人物がずっとそうであるわけでもなく)人によるということですね。


cman
人間全体の傾向として、「悪い面に目を向けがち」というバイアスが報告されている
“ネガティブなほうに目を向けがちか”と言われればYES
ただし、ネガティビティバイアスの元論文には当たっていない
この立場から質問を考えると、“ネガティブなものを見ることは(必ず)不幸を感じることに繋がるか”となる
これについては“そうかもしれない”
しかし、“必ずしもそうなるとは限らない”
このへんはファクトフルネスでも書いてあった
“一時的に悪い”と“だんだん良くなっている”は両立する
悲観的に見ることは現実的な問題への対応能力を上げる
この逆――楽観バイアスが強いと、問題意識や対応能力を損なう
ネガティブ面に意識を向けること(問題を意識すること)、と、自分の感情が落ち込むことを切り離せると楽だろうなと思う
cmanはできてないですけど〜〜(楽観バイアスと逃避の権化なので)
uvoaはえ〜。ネガティブと不幸は等価とは限らないというのは言われてみれば。その辺ナイーブになっていたのかごちゃまぜにしてましたな。
あとファクトフルネスも読み返してみよう。そんな話もありましたね。
お二人の意見を経て、ポジティブ・ネガティブというのは無意識のレイヤーにあって、幸・不幸は意識とか意志のレイヤーにある。もしかしたらそんな感じなのかのなぁとか思うなどした。

くま子
嫌なことを考えないために何かに没頭するとかいいのかもしれないと思った。自分が最近本を読んでいるのも多分何かをしていないと無意識に不幸なことを見出してしまてしまわないようにするためという面があるんじゃないかと気づいた。

久住哲
幸福を感じるときもあれば不幸を感じるときもある。
幸福を感じているときは、過去の全てが祝福されていたように思われるし、不幸を感じているときは、過去の全てが呪われていたかのように思われる……っていうのがどこかに書いてあったが、それに同意する。
人にもよるかもしれないが、私個人の考えとしてはYES塩ミルク

レオ
太宰治も言ってましたが幸福に傷つくこともあるらしいですからね
幸福とは見方の問題だと私は思っていますよ。例えてみれば見方はライトのようなもので、光の向きによって幸せかどうか焦点は変わるのかなと
個人的にはメタ認知について調べるのがオススメです