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『モナドロジー』の6

久住哲
>Ainsi on peut dire,
「そこで、こう言える……」というこの表現をどう捉えるか。
言えるだけであって、事実として主張するつもりはないと読むことができる。すなわち、モナドというものがあるとするのであれば、以下のようでなければならない、という論の進め方である。
>que les Monades ne sauraient commencer ni finir, que tout d'un coup,
>c'est-à-dire elles ne sauraient commencer que par création, et finir que par annihilation;
>au lieu, que ce qui est composé, commence ou finit par parties
モナドというものと、「複合体というものce qui est composé」は異なる存在である。
この主張は事実の主張であるというよりは、存在の仕方についての主張であるだろう。
『モナドロジー』の1に言われているように、モナドは複合体に入っている(entrer)
だが、モナドと複合体は、そもそもが違う存在様式のものである
であれば、『モナドロジー』の2はどうなるんだ?
複合体は単一体(simples)の集合だと言われている
これについては『モナドロジー』で出てくるentrerの意味のなかで、複合体とモナドの関係についてメモしてあるので、そこも併せて読むといい。

岩波文庫河野与一訳の傍注
『形而上学叙説』§9への参照指示あり