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『モナドロジー』の1

久住哲
>La Monade,
>dont nous parlerons ici,
>n'est autre chose, qu'une substance simple,
une substance simpleは「單純な實體」や「単一な実体」と訳されている。
>qui entre dans les composés;
>simple, c'est-à-dire sans parties.
この節においては、「一」が「単一・単純 simple」と言い換えられ、それが「部分が無い」と言い換えられる。
これは実体の定義の言い換えでもあるかと思う。
「部分がある実体」ってそもそもあるの?と思う人もいるだろう。
ライプニッツはけっこう「実体」には「単一な」という形容詞を付けている。
例えば、アリストテレスが挙げた「一頭の馬」という第一実体の例。馬には脚があり頭があり腹があり……と、部分がある。つまり、馬という実体の内に脚や尻尾がある。(だが、馬は別な実体の内にあることがない。だから「実体」と呼ばれる。)ところで、モナドはそういう実体ではない。〈部分がない実体〉である。
『モナドロジー』の17では、風車の中に入るという面白い比喩でこのことが説明される。
本文のあとで『弁神論』の§10への参照指示がある。
河野与一の解説によると、これは弁神論緒論の第10節のことらしい。