generated at
scrapboxに書き散らすことで発生するデメリットの一つ
scrapboxはあくまでツールであり、他者に説明するように記述するか、チラシの裏同然に書き散らすか、それとも別のメンタルモデルで書き込むかは使うユーザーに完全に委ねられている

そのうちの「チラシの裏同然に書き散らす」メンタルモデルだと、やがて考え方も発言も適当で浅いものになってしまうというデメリットがあるのではないか、と↓を読んで感じたtakker
>誰にも見られてないと思って適当に文章を書く癖がつくと、日常会話での発言も適当になっていつか墓穴を掘りそう。という一種の恐怖が最近になって出てきました。なのでこうしてブログを作って周りに見え(やすくな)るようにしようと対策に打って出ています。改善後に期待ですね。
その点で、まともな文章を書くことを強いられるブログにもメリットはあるのかもしれない
「まともな文章」の定義が曖昧だ
技巧を凝らした美文章のことを示しているなら、小説以外でそんな文章を書く必要はない
主題→主張→根拠(→主張の再提示)の構造に沿った文章のことを示しているなら、書けるようになったほうが良いと思うが、それをブログで強いることは出来ないだろう
ブログ美文章も書けてしまう
nishio「3年後の自分が見て理解できる」とか?
細かい情報を自分も忘れる
このページだけでも「文章」が多義語になって混乱してきたtakker
整理したい
これは示している範囲が明確だから問題なし
主題→主張→根拠(→主張の再提示)の構造に沿った文章、ということでいいのかな
美文章、論理的な文章、思考をどんどん書き出すこと、それぞれ目的が違ってどれも状況に応じて必要になることはあると思うyosider
状況に応じて切り替えることができれば問題ないと思う
同感sta
切り替えができなくなってきたら問題に感じたのかもtakker
書き途中であってもそれが自然であるように感じられるのは良いと思いますね
そのページ一つで完成としないから?
プロジェクト全体で一つのなにか
目的に応じた機会を全部確保すればいいと思うsta
たとえば
A 美文章で人に伝える機会
美文章だとSNSでシェアさせていただきたくなる文章しか書けないような(小説は除く)takker
美文章とは関係ないか
B 他者に受理してもらえる論理的な文章を提出する機会
C 自分用に思考を書き出す、貯める、繋げる機会 etc
個人的な経験則だが、他の機会で別の機会を補うことはできない
たとえばCでAやBを補うのは難しい
補おうとするとCの気軽さが削がれていく
中途半端になる
Cの気軽さが中途半端になるということですか?takker
それとも、AとBの他者に伝わる文章構造が雑になることを示している?
両方ですねsta
AやBの力を付けたい、鍛えたい、鈍らせたくないなら、AやBの機会に投じるしかない
逆を言えば、AやBの機会があるのなら、Cでは(AやBのことは考えず)はっちゃけてしまってもいい
まあ異なる機会を確保するのがキツイと言われると、そうなんですが。。stasta
今の僕は、ほぼCになっている
が、一時期Aは(ブログや電子書籍などで)ガチってた事があるので、まあ必要ならまたガチればいいかなと楽観視している
これは環境を変えるのが一番でしょうねtakker
例えば大学生ならBとCの機会が強制的に与えられる

その場で思いついたことをそのまま書き出すのは大事だが、書きっぱなしで終わってしまうと、自分の頭で思考することがなくなる?
自分の頭で論理構成を考えて、頭にスッと入ってくる箇条書きに書き換えないといけない

scrapboxを使い始めてから、レポートの文章をうまく書けなくなっている気がしているtakker
箇条書きから文章になおすのが苦手なだけかもしれないけど
その場合は最初から文章で
どの過程が苦手なのか気になるyosider
(勝手な説ですが)今までもうまく書けてなかったけどそれに気づいていなくて、Scrapboxの箇条書きで論理構造を明示する練習を繰り返した結果、ふつうの文章の論理構造に対しても目が厳しくなった、という可能性も?yosider
それはないですねtakker
B1のときのにやった論説文を書く課題で、個人的には色々不満だったのに評価が良かったのか模範例として使われたりしました
まあそれがまぐれだったという可能性も無きにしもあらずですが
英語の論説文を書いたときも特に問題なかったですね
それにScrapboxの箇条書きだけでは論理構造を明示する練習にはつながりませんtakker
頭にスッと入ってくる箇条書きを意識してアウトライン編集し始めることで初めて論理構造を明示する練習になります
たしかにyosider
箇条書きだと文どうしの関係が位置関係として可視化されるので、論理構造を意識しやすくなる気がしたyosider
可視化されることで、論理構造の妥当性はすぐに判別できるようになりますtakker
これは普通の文章でも読めば大体わかるのだが、まあそれはおいといて
しかし、妥当な論理構造かどうかが分かったからといって、(妥当でない場合)それを修正するとは限りません
なので確かに論理構造を意識しやすくなりますが、それが論理構造を明示する姿勢に直接つながるわけではありません
要するに極度のめんどくさがりなのでは
それはそうyosider
PageのRefactoringする気にならないのが問題の一つ?takker
いつも書き散らすだけで終えてしまい、その後改めて論理構造を意識した箇条書きに変換する気になりません
書き出したいという衝動が一瞬で始まり一瞬で終わる
別の機会で再びページを開いたとしても、加筆はしても文章を直したり組み替えたりすることは滅多に無い
解決策
思考をどんどん書き出すときに、並行して頭にスッと入ってくる箇条書きに書き換える
流石に離れ業か
個人projectではよくやるyosider
書き出す気軽さが損なわれる感はある
始めから頭にスッと入ってくる箇条書きを書こうとするのではなく、まず書き出す→余力があれば並び替えるという順序が良さそう
それofそれだけど、余力が(自分の求めてるレベルと比べて)なさすぎるのでもっと増やしたいtakker
頭の中のモヤモヤした思考の論理をクリアにするための作業としてやっている
ので続けるモチベーションがある
PageのRefactoringする習慣をつける
今度は習慣をつくるという難題に立ち向かう必要がある
論理的な文章を書くのが面倒になってしまったのかも?takker
今年は文章に直すのを渋って、箇条書きの状態で提出してしまったことが多々あった

感じたこととか考えたことをメモするようになったから若干レポート書く見通しが立ちやすくなった気もする
感じたこととか考えたことを書き出すことを当たり前のように感じるかもしれないが、それが当たり前でなかった人間もいる(僕)ので
なるほど。確かに思いついたことをそのまま書き出せるのを前提として考えていましたtakker
Scrapboxに書き出す以前から、日常的に考えたことを書き出していた
localのmarkdownファイル
B5ノート
etc.
勝手にめんどくさいと思ってた

blu3mo自分の場合、
まずScrapboxで考えながら書く #書きながら考える
考えながら書いた結果意味のわかる文章が生まれれば良いけど、大抵はそんなことない
文章力の問題ではなく、書きながら言葉の定義とか議論の階層構造とか変わってくるのでどうしようもない
なので、自分の中で整理する&未来の自分/他者が分かるようにするために内容をまとめ直す
このphaseに移るためのmotivationがほしいtakker
整理すれば理解が深まるだろうというmotivationでやってるblu3moyosider
整理しておかなければ未来の自分はまず思い出せないだろう(今書いてるこの検討はゴミと化すだろう)というmotivationでやってるsta
特にモチベーションなくやってる気がするnishio
「何がモチベーションでやってるのか」と自問したけど何も思いつかない
もしかしたらやってないのかもしれないw
しかし、その時に考えながら書いた文章を捨ててしまうのはもったいない
なので、 [-.icon] で線を引いた上で、その下に「以下は雑記」として考えながら書いた文章をアーカイブしておく

Summer498
箇条書きを使う Scrapbox 以外のシステムを使う時に誤操作するようになる
箇条書きのときのシステム操作のメンタルモデルが完全に Scrapbox になっているため
パワポ
マークダウン