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罫線を引くことの必要性

Mijinko_SD
罫線を引かないのは、わざわざ明確に分類する必要性を感じないから
そもそもの話、井戸端には罫線を引く文化こそ無かったけれど、文脈が変わるなら空行を空けたり箇条書きの段落を変えたりする文化は以前から存在した
それで十分間に合っているので、今更やり方を変えようとは思わない
最初の頃、乱立された箇条書きを見出しを使って分類した方がいいのかもと思っていた時期もある
でも、井戸端には見やすさよりも書きやすさを重視する人が一定数居ると感じたのもあってやめた
あと分類すること自体めんどくさかった
重視する人yosider
見出しに代わる、井戸端における一般的な分類法はページの切り出しだと思う
切り出した方が検索がしやすいので、自分もそうするようにしている

罫線を使うのはやめたcFQ2f7LRuLYP
罫線が入ると「切れ」を強く意識するから
1ページにおいて空行が挿入されるのはたしかに区分けではあるがなにか違う
空行には微妙な「切れてなさ」が残る
…ようなそうでないような
引力か斥力かそれともなにか別の言葉が当てはまるかもしれない
wogikazeさんのいう緩やかにつながっている感じ(罫線を引くことの必要性#63809aa15f1e0d0000d21f19)
このつながりが離れてくるとそろそろ切り出すか……♠という気分になる
罫線があるとcFQ2f7LRuLYPは「切れ」を意識しだすので、「ページが育ってくる」前に繋がりが見えなくなってしまう感じ
ところで俳諧・俳句という文芸においては「切れ」が重要らしい
>俳句は「俳諧の連歌」の発句が独立したものです。
>  最初の句である発句に下の句を次々に付けていく遊びが連歌です。
>  このため、発句には、どのような下の句でも考えられるような独立性が求められ、強く言い切ることが必要とされました。
この「言い切り」感をもたらすのが切字の効能
例が出せるほど俳句のことを知らないのが残念
rickshinmiさん求む
切字を媒介として別の世界をくっつけているというような(要出典)
ホントか?「松島やああ松島や松島や」のどこに別世界があるんだ?
wogikaze
罫線と切字の関連はあるのかしら
わけのわからない2hoplinkが連想の間に存在している
3hoplinkくらい離れているかもしれない

wogikaze
日記ページやここでも使われている(アイコン前置き記法)ではひとつ前の人のスペースと自分のスペースで自然に分けられていて自然な視線誘導もできるし緩やかにつながっている感じもしていいと思っている
この雰囲気が好き

yosider
時間軸指向の発想による罫線
数年前のページに書き込むときにオリジナルを壊すのに抵抗があって罫線を引いて分けるときなど
トピック指向にしたいので、分けるのはやめるyosider
オリジナルを壊したくないなら、別のページにコピーしておけばいい
まとめパート要約を作りたいという発想による罫線
議論が長くなったときとか
あとから変えるとき、変更する箇所が増えて、編集のハードルが上がる
頭にスッと入ってくる箇条書き形式で書けば、長くてもインデントの浅い行だけ読めば自然に要約になる
意味的に離れているものを分けたいという発想による罫線

他に罫線を積極的に使っている例