知識のない人に合わせたコミュニケーションは参加者の多様性が高くなるほど貧しくなる
T:
「知識のない人は知識ない人同士でコミュニケーションしてね」
とか
「知識ない人は多様性の高い場でのコミュニケーションを諦めてね」
と言う結論はなんか嫌だなーと思う一方
「諦めないと無理じゃね?」
とも感じます。なんなんでしょうねー
Aさんにとっての「価値のある会話」は、すでに知ってるXでもなく、理解が困難なBの専門性の頂点のZでもなく、自分の
知識境界のすぐ外のYである
T:
スルーを許すことでコミュニティの多様性を確保しながら質の高いコミュニケーションをすることができると。
話題ごとにコミュニティの一部の人間のみが質の高いコミュニケーションをする
N:
一部の人が質の高いコミュニケーションをして、それによって生み出されるコンテンツを周囲の人がテレビのように受動的に摂取する
関連メモ
「価値のある会話」の「価値」は主観的
ひとこぶの絵を描くのは「描きやすい絵のバイアス」で「一人の人が多様な同質性の高いコミュニティに所属する」が可能になるためにはそれぞれの人が多峰である必要がある
T:
AとBは高度なトピックXを共有して会話することができる、Bは自分の専門から高度なYを取り出してXと関連づけることができる、AはY単体では理解できないが、Xと関連づけられることで理解可能になる
理解可能でない場合でも口頭の会話であれば質問をすることでXとYの間のリンクを詳細化することができる
T: 口頭の必要がありますか?
話を忘れない程度の短い時間でやり取りするならチャットでもいいと思う
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忘れるとXとのリンクが切れちゃう
AIにやってほしいのはこれな感じがする
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相手がついてこれるかどうかを気にせずに書きましょうということ