情報公開のデメリットもちゃんと考える
は
情報公開至上主義であんまりよく考えていなかったのだが、ちゃんと考えないといけないなあと思いました
これに関連して気にかかっていること
見られたら恥ずかしい?
公開するのはよく吟味された内容であるべき
最終成果物をポンっと見せられるより、制作過程を辿れるようにしたほうが嬉しいのでは?
誰が嬉しい?
後から前提が変わったりして、
考え直す必要があったときに1からやり直す必要がなくなったりする
で制作物を管理しておけば、気が変わったときに適当なcommitからbranch生やして別のものを作れる、みたいな?
手間は段違いだけど
それに近い
リンク先の参考リンク先で言及されていること
これはそうかも
では(今の所)全く気にされていないこと
正確な情報を残すことなど気にしていない
元々思考のプロセスを書き出す場として機能している
当然、揚げ足取りに使おうとする人間なんて一人もいない
一方、
を始めとする
SNSでは前後関係を切り捨てた一部分をボロクソに言う揚げ足取りが横行する
頻度の差こそあれ、生じないことはない
でも
揚げ足取りが横行するようになったら、思考のプロセスを書き出し公開する場として機能しなくなる?
デメリットではないけど、他人に見せるコンテンツの中に個人的な考えを書き加える文化が今までなかったように感じる
コメント欄に書き込む文化はあるけど、他者のコンテンツに書き込む文化はないですね
少なくともテキストドキュメントへの書き込み文化は
が知る限りではない
動画だとあったりする
コメント職人の職人芸はまさに(芸術面での)書き込み文化の真骨頂
ただわーわー言い合っているだけで、
建設的な議論には発展しない。
そもそも議論が出来るような設計になっていない
一言より長いものは読みづらいUIになってる
絵だとお絵描きチャットとかありますね、使ったことないけど
有用情報をもらうとたしかに嬉しいし、「GJ!
」とは思う。
けど「じゃあ自分も何か情報を渡そう」という気持ちには行かないんじゃないかな
念頭にある構造は、ネット上で時々起こるお祭り
みんながどんどん面白い作品を投稿して盛り上がっている状態
そういうときは、「自分も何か作ってみたい!」という欲求にかられる
楽しそうだから、参加してもっと楽しみたい
参加すると楽しめそう→参加したい!というロジック
一方最初から有用情報を完成された状態で投げられてしまうと、何かしようという気にならない
もう情報はもらっている
与えられるインセンティブに対してコストが大きすぎるかもしれない
情報を生み出すのにかかる様々なコストがインセンティブより大きくなると行わなくなるとも考えられる
自分に関する情報を微量でも出したりする精神的なコスト
調査するコスト、言語化してまとめるコスト
どうすればいいか
情報を小出しにして、取引に持ち込む
でもそれじゃあ付き合ってくれる人が激減しそう
お祭り騒ぎにする
「
見てもいい」の場合は見返りをそもそも求めていないかな
自分に集中して、自分の脳内をただ書き出しているだけ。
「
見てほしい」なら見返りを求める感情が湧くかもしれない
これは微妙かな
これって「情報公開のデメリット」なの?
ただの読み手を情報提供側に回す話で、これはこれで興味深いけどあまり関連性がないように感じる
デメリットではなさそうですね
増井さんは何があったのか気になる(
Projectが消えてて分かれないし、なんか聞きづらい雰囲気...)
の
スレッドを見ても、何があったのか全然わかりませんね……
あえて聞く必要はないですけどね。ただちょっと気になる
がっかりしたのでつい消してしまいましたが、いきなり書けと言っても書く人はいないのでしょうね
確かにすぐには書けないし、書けと言われてかけるものでもない
「いや……いま別の作業してるし……」と困惑するだけ
書けと言ったわけじゃないですよ
自然と集まるかと期待したのが甘かっただけ
既に温まっているプロジェクトから発生していかない限りスケールしなさそう
このプロジェクトは面白い記事が集まってて素晴らしいんですが
井戸端みたいな
無自覚に弱みを晒すこともあり,「界隈の変なやつ」がリーチしてくることがある
こんな記事も。
悪意のある人のほうがよってくる時代になってしまった
弱みを持つ人間の情報を得やすくなった