基本的に「誰が書いたか」に対して興味がない
1. 本当に
アイコンで
署名する必要あるのか。
匿名でやれる自由もあってよくないか?
基本的に「誰が書いたか」に対して興味がない
複数人でやりとりするときに明確にしたほうがよい場合がある
これ私が書きました!というよりも、前の人の意見の続きだと勘違いされないようにアイコンは使ってますね
ただ、
があんまり使われないのは不思議かも?
複数の人が
を使いだせば、結局どこまでがその人の意見なのかがわかりにくくなる
個人的には、自分が書いたということをぼかしたくても、誰が用意したのかわからない
を
身代わりにしようとは思わないなぁ
これは気持ち的な問題
Ctrl+i
より入力しづらいとか?
w
を変換で
にしてる
意見者を区別する必要がある場面では使おうと思っているが、今のところその機会がない
割とみんなうまくアイコン使ってるので使う機会なさそう
+1
なんかあるなーと思ってましたが、使い方をよく理解していなかった(今ページを見て理解)
自分の意見に捕捉的に書かれている時があって、自分ではないことの表明に足すときがある
匿名掲示板でもIDあるもんなぁ
理解できる投稿に関しては誰が書いたかあまり気にしないが、理解できない投稿に関して「理解しようとするかどうか」は発信者が誰かによる
「ん?ちょっとよくわからないな?おー、でもAさんがこの分野について書いてるなら少し考えてみるかー」みたいな感じ
専門的な話題でその人が専門家かどうかで受け止め方が変わる
例1 ガジェットが盛り上がってる時には昔からガジェットを触っている人の反応をより重視する
例2 VRに初めて触った人は初めて触った体験にすごいというだろうけど、その感想はVRを触ったことがある自分との差分はないことがほとんどなので情報量がない。よく触っている人が他のものと比べて優れている点を挙げていたらそれは新しい知識なので楽しい
専門家意見を無批判に受け入れるという意味ではない
素人の意見が役に立たないという意味でもない
いろんな立場の人の意見を集めて眺める方が価値がありそうだから、そういう意味で自分は誰が言ったかはかなり重視しているのかも知れない
あるテーマに対して同じ属性の人の意見は同じになりやすそう
+1 自分も「誰が言ったか」はコンテキストの一つとして考慮しますね
軸がたくさんあるのが良い
井戸端に長く参加してることで「この人これに興味あるんだ!」といった発見に嬉しさを感じたりするけどそれ以外だと特に意識してないかも
それが良いのか悪いのかは別だしうちは興味がない派
見るサイド的には、どうてもよいけど、書いたサイドだと地続きと思われたくないというか別の人とごっちゃになりたくないってのはなんかわかる気がする
音声会話だと、声色が全く同じ人が会話に参加してくるみたいな怖さというか
文字で、なおかつ不特定多数の人がやり取りする場所なら、見るサイド的にはどうでもいいってかんじ
音声で、なおかつ不特定多数の人がやり取りする場所なら、声色が違うからそれがわかるというか、、むずい(ここで思考停止)
ひねくれているので「ふっ。俺はその人ではなく意見の方を見る。人にとらわれない
真眼を、俺は持っているのだ……」的なマインドでなるべく人よりも意見だけ見ているようにしているが、全然できていない
あまり知りたくない
なぜでしょう
きになる。相手が見えないほうが攻撃的になりやすいと思っていたので
槍投げの射程(数メートル)だと、まあまあ相手の顔が見える
銃(数十メートル)だと相手の顔がわからない距離から、相手を撃つことができる
遠ければ遠いほど、同種族の相手に共感を抱きにくくなる
遠隔でボタンポチポチ押して人を殺すようになればなおさらそう
相手が見えると意見が両極化しやすいということ?
二極化と両極化はどう使い分けするのだろうか
気に入らない相手には攻撃的に
親しい相手には穏やかに
それとも相手個人を掘り下げられるようになることによる弊害?
意見には賛成だがあなた個人が気に入らない、という状態になる
過去の発言を掘り返せるので攻撃しやすく、攻撃的になる
古典の講読で鍛えられた
本を引用するにしても、あらかじめウラを取っておく必要がある
それがどんな資料か
どういう来歴で伝承されているか
作者はどういう人物か
誰か書き込んでないか
辿れるだけ辿っておかないと気持ち悪い
ソースどこやねんの精神
何か主張が流れてきたときに「 その人が普段どういうことを言っているか」を調べるのを半ば自動的にやってしまってる
自分のページに
と同じ画像を置くことを考えたが、逆に匿名のところがその人が言ったみたいに感じられそうなのでやめた