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井戸端と個人プロジェクトのエクスペリエンスの違い

井戸端と個人プロジェクトのエクスペリエンスの違い
しばらく井戸端に入り浸ってから個人projectに戻ってこねててエクスペリエンスの違いを感じた
これを言語化することは自分にとって有益な気がする
何が違うのか
個人プロジェクトの方がもっと「小さいページ」を作ってる
井戸端日記にタイトルのないテキストを書いて、それが盛り上がった後に切り出される
「盛り上がったところを切り出す」
この時に暗黙に「盛り上がったところ」にフォーカスしてる
結果、切り出されたものも大きくなりがち
他人の発言を削除しない
自分の発言も不用意に消すと文脈がわからなくなる
Write and never delete
どんな情報が未来に役に立つかわからないから消さない方針は基本的にはよいと思うが、大きすぎる部品になってる
試しに独自の用語を造語するを自分のプロジェクトで刻んでみるか
あ、わかった、じぶんが「一塊だ」と感じるもの、多くの場合一人の発言なんだ
複数人の会話から一人の発言だけ切り出すことには違和感がある
と思ったがそうでもない
結局切り出されたものには複数人の発言が含まれてた
個人プロジェクトには「盛り上がったら」などというものはない
(とも言い切れない気がするが)
じゃあどういう時に切り出すのか
今置かれてる文脈とちょっと違うなという気持ちの時かな??
小さい密なトピックのページがいくつもあり、リンクをつたって動き回る
大きなページだとそれが単独で「読み物」になってる
それを読んで間にコメントを書く
これはタニシの著作アクティブ読書してるみたいなもの
それ自体は有益だがテナガザルの営みとは全く別物
結果的に造語の話は井戸端に長文、個人に分割、扉が開いた話は個人に長文のバックアップ、井戸端に分割したものが置かれることになった
どうなることやら