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ポンチ絵
システムの全体像を分かりやすく説明した図を「ポンチ絵」と呼ぶ。
簡単な絵。
フリーハンドでサッと書く画をこう呼ぶ。


元々は、イギリスの諷刺漫画雑誌「パンチ」に描かれていた寓意・諷刺の滑稽な絵のこと。

職場で先輩(アラフォー前半)が使ってたsta
年齢は関係ないのかも?

増井俊之
フリーハンドとは限らないし、普通の絵のことをポンチ絵とは呼ばないような
役所とかで、簡単な図解のことをこう呼ぶ模様
企業の人が使うのを見たことはない

工学部の大学教員は図面や図をポンチ絵と言っていた基素
うちだと外部講師の方がよく「漫画」と呼んでいるtakker
さらに古い時代の言葉だ
「漫画」もエロいはるひ
対になってるのか
ええ……takker
ちょっと一旦休んだほうがいいのでは?


夏目漱石の「三四郎」と「明暗」にも出てくるhatori
>昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵をかいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
>「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。
>小林はのっそり立ちどまった。そうして裄の長過ぎる古外套を着た両手を前の方に出して、ポンチ絵に似た自分の姿を鑑賞でもするように眺め廻した後で、にやにやと笑いながらお延を見た。