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よっしゃ井戸端に書いたろ!
hatori
記事作成について:「話題が出るor言及がある→ページを作成」という流れで作っていない
概ね「よっしゃ井戸端に書いたろ!」駆動である
変なものや興味深いものを見る
個人projectにキーワードを書いたりリンクをいくつか張る程度の簡単なページを作成
一旦寝かせる(ここがポイントか?)
→ 気が向けば内容を少しずつ書き足していく
→ タイミングを見計らいつつ、井戸端に順次「放流」する
悪し様に言えばネタの不法投棄か?
これだと井戸端をscrapのbox扱いしているが、Scrapboxという言葉の意味はそうではない、ということを忘れないようにしたいな
勿論そうでない場合もある
例えば「君たちはどう生きるか(映画)」を見て「君たちはどうイキるか」というネタを思いつき、Twitter検索するとn番煎じであることが分かったので「フムン...なるほどね!」となる
→ さすがにこのおやじギャグ(?)をタイトルに掲げたページを作る度胸はないな...そういえば黒澤映画で「生きる」というのがあったな~
→ じゃあその記事と「イキる」を作るかァ!
wikiる」の個別ページも作ろうかと思ったけれど、あまり面白くないのでやめた
→ 何か画像を置きたいけれどティンとくるものがないので、しばし放置
ぼっちちゃんの画像イキるを見つけ、連鎖的に初手イキリソシャゲ早口自分語り!?も思い出す
→ 諸々をまとめ、順次放流する
(井戸端ではすぐに拾われることも多いけれど)hatoriはここでのやり取りをボトルメール的なコミュニケーションだと考えているので、放流という言葉のチョイスはあながち間違いではないと思う

biwa
かなり適当に井戸端にページを書いてたけれど、あんまり良くない気がしてきた
適当に書いていない人ほぼ居ないと思うので全然大丈夫だと思います()Mijinko_SDnishiotakkerwogikazelsajfk
1つ目の適当はテキトーで、2つ目の適当は文字通り適当?inajob
どちらかというと自意識との戦いって気がしますsta
自分の場合、本当にテキトーに書くとシャレにならない(たとえばえぐい下ネタ書いたり、100行以上のゴミを量産したりするだろう)ので、結構神経使ってる
神経使わないと井戸端に書けない自分のへぼさに辟易するが、それが自分なので受け入れるしかない
へぼいとは感じないyosiderbiwa
とするとやはり自意識か。劣等感で参ることが多かったsta
最近はかなり精神的には落ち着いている
眠い時に適当に書くのは良くないなって感じbiwa
後から見返して何が言いたかったのか分からなかった記事がちらほらある
こういうのは一種の攻撃な気もするから、自制する
デバイスでも適当さが変わるtakker
スマホだと画面が小さい点と文章を打ちにくい点から、ほとんど説明できない
以前hatoriさんが書いてたよっしゃ井戸端に書いたろ!的な使い方ですねinajob
(後にこのページに移動させた)

bsahd
井戸端への貢献方法に従って貢献し続けている