「考える」を具体化したい
具体的でない言葉つながりで、「思考力」「考える」という言葉を具体的に知りたい
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思いつききることを目指す、かなぁと。「はい、(現時点では)100%出し切って考えきりました。これ以上はありません」と胸を張って言える状態。それを目指す。ひねり出し尽くす
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+1
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それだったら「考える」ではなく「思いつききる」で表現できる
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……というように、考えるが指している対象から、別の(より意味が明確な)言葉に言い換えられる対象をどんどん言い換えていって、考えるが一体何を指していたのかを知りたい
顎に手を当てたり、腕を組んだり、目をつぶったり、あるいは一点を凝視して、意味ありげなポーズを取るが脳内では何もしていない状態
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大学受験のときに「考えても解けないんじゃない。そもそも考えてないんだ」という話を聞いた。
体感として、実際そう。
最初に思いつかないことはいくら考えてる風のことをしても無理
自分が「考えている」と思ってる時は何もしてない
人が「考えてくれ」と言っているときの「考える」は思いつききることを目指す
考えるにも、色々な種類がありそうなので、まずは"考える"という言葉の使用例を知りたい
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これは、考えるという行為の具体例を知る目的
「考える」を具体化する方法を 考える
考えると(書きたく|言いたく)なったとき、別の言葉で言い換えられないか検証する
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「考える」に関連した具体的な行為には別の名前がついていて、名前のつかなかった残りが全部ごちゃ混ぜに「考える」という名前で呼ばれてる(ガラクタ箱にごちゃっと入ってるイメージ)
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それそれ
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例えば「具体例を列挙してみよう」は
列挙と呼ばれてる
「検討する」も似ているかもしれない
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「調べる」「検討する」は「考える」ほど曖昧さを感じない
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「作業する」と「考える」の違いは、とか
そうそう。そういうアプローチもしたいです
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2024-09-30 見つからなかった
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@
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、どれだか教えてほしい
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ことわざ
したがって、考えるを具体化するという作業は、「考えろ」と言われたときに何をするかのオプションを列挙するところから開始される
「考える」が何を指すか、というアプローチはとらない。「考える」という言葉がどのような観念を指示しているかが分かるということが、考えるということの理解を深めることに繋がると思わないからだ。
考えろと言われたときに行って適切だと見なされうる行為は文脈に応じて様々だが、この事情は当該列挙を不可能とはしない
オプション
立ち止まる(比喩)
黙る
疑念を解消する
仮説を立てる(そして検証する)
今の観念から離れる
計画を立てる
この列挙から、まだ考えていない段階がどのようなものであるかが窺い知れる
突き進んでいる状態(無反省)
思いつくままに喋っている
疑念が湧いていない
疑念を無視している
行き当たりばったり(仮説を立てていない。あるいは、仮説を立てて、それを試しても、評価していない)
頭に浮かぶ観念から離れられない
無計画(行き当たりばったりに同じ)
これらがその人にとっての「考える」の実践である可能性?
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それに対しては、「これら」の全てが一様に「考える」として容認されるとは限らないと答えたい(議論)
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結論から言えば、
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の考えとしては、彼がそれを思考の実践だと思っているからといって、それが思考の実践になるわけではない。すなわち、彼が間違っている可能性がある、ということ。
ここで「彼は間違っているのではなく、それが彼にとっての『考える』なのであって、『考える』の概念は人それぞれ違う」と言うと、それは
相対主義と呼ばれる。
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はその立場を避けたい
が、たしかにそれらは思考過程としても記述しうる。
しかし、それらが思考としても記述されうるのは、それが彼らにとっての思考だからではなく、私たち(……誰?)にとっても思考であるからだ……という風に、以下では論を進めている
その「可能性」を潰していく、というのも作業に含まれる。
ただし、その検証作業のなかで、上の記述における
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の「間違い」が発覚するという可能性はある。
例えば、「思いつくままに喋る」が思考として記述されうることは十分理解できる。例えば、それを
ブレストとして記述し、その後の
収束的作業の準備として位置づけた場合。
だが、例えば、思いつくままに話したあと、彼が「あー、気持ちよかった。満足満足」と言ってその後継続的にそのことに取り組まない場合、それを再び無思考として記述することもできるだろう
あるいは、「疑念を無視している」も思考として記述しうる。どういうことか。けだし、それは経済的判断と見なしうる。というのも、「ある疑念が浮かんでしまうが、それは本質的なものではないので、一旦無視してより重要な課題に取り組もう」と彼が言った場合、これは物事に優先度を付ける作業として記述しうるので、やはり思考として記述しうる。
>水占いの答弁を検討することが大切なのは、「pが事実であると私は感じる(または、信じる)」と主張するだけで、既に陳述pに意味を与え済みだと思ってしまうことが多い、という事実があるからである。『青色本』ちくま学芸文庫pp28-29
ここから考えていく
人がある人(彼自身を含む)を「浅慮」と評価したり、「よく考えている」と評価する行為は、どのように理解可能になっているか?
反応の速さ
考えるという行為自体は、言うなればゆっくりなもの(物事の進展をストップさせるようなもの)だが、「考えてる人」は問いかけや問題発生に対してのレスポンスが速い
遠い話題を思慮内に引き入れているかどうか(これは質問に対しての反応で観測可能)。ピンと来ていない場合、「そこまで考えが及んでいない」
多分「考える」の一側面にすぎないとは思うが、面白い説明だったのでシェアします
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最初の見出しまで読んで、
デューイっぽいと思った
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不安定な状態を安定な状態にするのが
探究だという考え
質問は「どのような不安定さがあるか」を表面化することであり、答えは「安定した場合の状態」を表面化する