「教育」をするにあたって、全員をトップにできるわけではないので"観客"を作る必要がある
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の場合であれば、
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の場合であれば、
補足しておくと、この例えは完全に悪かったので意図が少し違う
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こちらに切り出してまとめようと思う
「
教育をする」という文脈になっている時点で、それはかなり危ないものだと思う
構造に自覚的であることは必須だし、「こいつ全然育たない」みたいな感情を持った時点で、自分を見つめ直した方がいいと思う
基本的に
生存バイアスな発言が多くなってしまうのは必然なので、
n=1からの視点でしかないことを常に念頭に置くべき
なのでどうするべきかというと、
ゲンロン戦記で述べられているように、「
知の観客」というものを作る方向に転換するべき
全員が全員、手を動かして自分と同じレベルにならなくていい
合う合わないはあるので、それを前提に一回諦めよう
そこで、観客・応援団という概念をもっと深ぼるべき
以下引用
> コミュニティにはまたべつの効用もあります。スクールに来るひとの多くはプロになりたいのだと述べましたが、現実問題としてはプロになれるひとはごく少数です。生徒のほとんどは夢を実現できない。これはゲンロンスクールだけの問題ではありません。教育全体の問題です。どんな分野でも、才能があって、好きなことを仕事にできるひとは100人か200人に1人です。もっと少ないかもしれない。にもかかわらず、100人や200人からお金を取るとは一体どういうことなのか教育というのは、一歩まちがえれば、自己啓発系の詐欺行為になる危険性をつねに抱えているわけです。
> この問題に教育者はどう対処すべきか。ゲンロンスクールを始めて5年、ぼくが見出した答えが「コミュニティをつくること」です。べつの言いかたをすれば第6章でさらに詳しく述べますが受講生に、コンテンツの制作者になる道だけでなく、「観客」になるという道を用意することがとても大事になってくる。作品を発表しそれで生活するプロになることはできなくても、作品を鑑賞し、制作者を応援する「観客」になるのもいいではないか、ということです。
> 観客になるなんて負け組じゃないか、というひともいるかもしれません。けれどもそれはまちがいです。美術でもSFでもマンガでもなんでもいいですが、あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。日本では同人の二次創作と商業マンガの関係を考えると理解しやすいかもしれません。比除としていえば、壇上で踊る人間だけが文化を創っているわけじゃない。壇の下=客席で踊りを見ているひとも一緒になって文化を創っているんです。客席に座り続けるひとを育てていくというのも、教育の大きな役割です。
これは「〇〇だからやばいよ!」みたいな感じではなく、みんなはこれに対してどう考えてる?みたいなことについて話したい