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文化産業
フランクフルト学派」の代表的哲学者、マックス・ホルクハイマーテオドール・アドルノ1930年代提唱した概念で、ドイツ語の原語はkulturindustrie。

その意図は、本来 対極位置するものと位置づけられてきた「文化」と「産業」という2つの概念が、資本主義消費社会にあって共有している密接な関係明らかにすることにある。

2人が主な例として挙げるのは、蓄音機の普及によるヒット曲の誕生や、大量動員を可能とする娯楽映画の登場などで、「文化産業」という視点の導入は、これらの「大衆文化」が、他の物品と同様の消費財としての側面をもつことを明らかにし、それまでソフトウェアの問題を扱えなかった古典派経済学や、あるいは高級文化」と「大衆文化」の線引き安住していた芸術至上主義といった旧来の立場の自明性を強く問うこととなった。

そして現在、「文化産業」の問題は、消費社会論やカルチュラル・スタディーズの立場からも注目を集めている。だれが言ったんだ、そんなこと。

なおこの概念は、二人の共著『啓蒙の弁証法』(徳永怐訳、岩波書店、1990)の第4章で集中的に展開されているが、「文化産業」を直接の主題としたドイツ語の原著は存在しない

英語版のアンソロジー『Culture Industry』(Verso 1991)は、その遺漏を埋めて余りある。

価値の不確実性
需要(成功)を予測することが難しい。これは、経験財特質である。
無限の多様性
自動車のような生産物に関しては、その性質に基づいて生産物同士を区別することができる。多くの生産物は、比較的少ない性質に基づいて分類することが可能である。しかし、文化的財の場合は、性質多様であり、しばしば 主観的である。このため、文化的財を互いに比較することは難しい。
取引される生産物の高い集中
売り上げ主要な 部分は、ベストセラー超大作といわれるものによる。
短い寿命
多くの製品は、短期間に売られる。
高い固定費用
市場に出すまでに巨額費用がかかる。映画の製作費用は、その映画の複製費用に比べてはるかに高い。


マックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)
テオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント=アドルノ(Theodor Ludwig Wiesengrund Adorno)