なぜ個人プロジェクトを公開するのか
面白い論点、後で書く
「後で書く」だと書かない気がしたので雑に書く
色々な「やる理由」はあるけど、どれも「すべての人について『やった方がいい』と言えるほどの強い理由」ではないのでは
「やっている」が事前にあり、事後的にそれをやる理由が生み出されてるのでは
だから他人に「やるべき理由」を伝える目的ではなく、僕が自分自身を理解するためにこのページを書く
この感覚はない
これは強い
まとまった量の文章を書いてURLで他人に共有するための手段として使ってるケースがある
ただしすべてではない
一部のページは書いた後、そのURLをTwitterやFacebookに貼るが、すべてではない
自分一人のものではないプライベートプロジェクトに書いたものをそこにいない他人にシェアしたいことがあった、1日1回公開のプロジェクトに自動転載されるシステムが動いているが、直近の自分が書いたことが公開の側にはない
面倒だから最新のものを共有するのを諦めたけど、理想としては即座に共有できるとよかった
1ページなら自分でpublicに転載すればいい?
他人に即座に共有するってシチュエーションなら対象は大体1ページだからそれでもいいのか
一般には考えてることをいくつものページにしたりする
shareしたものに対してフィードバックがあって何度も加筆や修正をすることがある
privateに書いてpublicに転載することを繰り返すのは面倒
面倒だからとpublicを編集して、privateに反映し忘れるミスをしそう
紙の日記帳に書いて、毎日半年前の日記を見返すとかでもいいと思うよ
10年が1ページになってる日記帳とかもあるよね
以前の自分と今の自分の考え方を比べて、何が変化して何が変化しないかを見ることが有益だと感じている
僕は毎日日記を書くほどマメではない
真面目にコンスタントに読み返したりもしない
そんな人にとって何か読み返しのトリガーが欲しい
「過去の記事に言及があった」というのは、その記事が時が経っても言及する価値が残っているシグナル
これはしたことがないなぁ、試してみようとは思うが今のところあんまり心動いてない
これは「社会的トリガーを多く得よう」というアプローチで、「言及する」より「見る」の方が行動のハードルが低いから情報が集まりやすい
その情報にあんまり関心がない
「アウトプットしない不特定の人間の閲覧の情報に価値があるか」
これは状況次第
一般向け図書を書くことを仕事にしている場合、アウトプットしない不特定多数の人間が何を求めるのかを知ることは有益
アウトプットしないので得にくい情報でありそれが得られるのは価値がある
>これは考えていないなあ
> 脳内に浮かんだことをダンプしまくる場であって、他者に見てほしい場ではない
文章を整える時もあればそうでない時もある
例えばページにまともなタイトルをつけるのは、未来の自分に読んで欲しいということ
具体的にはこのプロジェクトだと「思考の結節点」シリーズは「まともなタイトルではない」の例
読んでわかる必要はないが、その日に例えば人と雑談して色々な話題が出たなどのように「関連してそうなキーワード」「重要そうなキーワード」が出たものを書き留めてる
時間をおいて出てきたもの
さらに時をおいて出てきたもの
1年以上経って出てきたもの
ふと思い出したのだけど、なぜ僕が自分の学んだことや考えを公開の場に書いていくようになったかというと、大学生の頃に
Google検索が現れて「公開の場に置いておくと『賢い検索』ができる」となったからなんだよなー
当時はまだ非公開のままでは賢い検索ができなかった
自分が過去にやったことを思い出すために記事を書き連ねていった
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