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言語論的転回
Ferdinand de Saussureの捉え方で世界の認識の仕方がかわった、みたいなやつ
いつも忘れるので、雑でもいいので、ノリをメモっておこうmrsekut

Saussure以前
前提として、「世界の客観的秩序」が存在すると捉える
それに対して人間が、その秩序に沿って単語を割り当てていく
すでに物が存在し、そこにラベルを振っていく
目に見えるものに名前をつけていく感覚
世界には、空、海、風、砂漠、などが「それ自体」の秩序として存在し、そこに人間が名前を振る


Saussure以後
前提として、「世界は混沌」である
何の秩序もない
それに対して人間が、言葉を振ることで世界を分節し、秩序を与える
言葉によってカオスに区切り目を入れる
どういうラングを持っているかに依って、世界の認識の仕方が変わる
文化ごとの色の語彙によって、虹を何色と見るかが変わるやつ
日本人は7色、アフリカ人は5色みたいなやつ
日本人から見ればインド人は毎日カレー食ってるように見える
あのスパイスを使った料理に対する語彙が「カレー」しかないから
インド人はカレーに対する解像度が高いので、毎日違うものを食っている
過去形がない文法を使っている民族には、時間軸の認識がない
未来とか過去とかを区別しない

逆もまた然り
「概念」がどのようにして形成されるかというと、
例えば、1枚の木の葉は他の全ての木の葉と一つとして同じものがないものであるが、
その木の葉同士の個性的な再生を任意に脱落させることで、種々の相違点を忘却し、
「木の葉」というシニフィアンが、「木の葉」という概念を形成する
「木の葉」というシニフィエに合致する「木の葉」はこの世界に存在はしないが、人間の中でそのようなものが存在するかのような観念を与える




歴史学に影響を与えた