Krebs Cycle of Creativity
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Neri OxmanがJournal of Design and Science (JoDS) (January 2016)で発表
>The illustration refers to the Krebs cycle, the sequence of reactions by which organisms generate energy; and to previous matrices put forth by designers John Maeda ’89, SM ’89, a former Media Lab professor, and the late Rich Gold—both of which located Art, Science, Design, and Engineering in quadrants with distinct boundaries and specialized missions.
まだ読んでない
>エンジニアリングはナレッジを利便性に変えることができる。
>そしてアートは社会をperception(認知)し、イメージに変えてまた科学へ。これがひとつのループなんです」
>今は「アートからサイエンスへ行く」このブリッジが壊れているという。この部分が稼働していないために、循環が滞り、それが現代社会の諸問題を生んでいる。ここに課題があるという。
>どうすれば修繕できるのか。MITには複雑系のシステムはどのようにコントロールできるのかを課題にしている研究者がいる。その研究によるとルールを多少変更しても、出現する問題は解決できず、相変わらず同じ問題点として残り続ける。状況を変えるには、「ルール」ではなく「目的」を変える必要があるという。これをモノポリーゲームを例にしながら説明をした。\>社会で法律などのルールを変えるのも大事だけど、みんながなにをやりたいかというゴールを変えるのが一番重要じゃないか
落合陽一がPeriscopeのライブ配信で「アートとデザインとサイエンスとエンジニアリング」を切り分ける図を書いて説明していたことがあったけど出てこない
色んな所で同じ切り口で別テーマを話している
><アート、サイエンス、エンジニアリング、デザイン:分野にまたがる教育>
> ○ 今後ますます重要となるサイエンス、エンジニアリング、アート、デザインの4つの分野において、1つの分野を突き詰める専門家とともに、2つの分野に軸足を置く人材の育成や、異なる分野でコラボレーションしていくことが必要となる。
> ○ これらの分野はそれぞれ考え方や言語、評価の視点が異なるため、コミュニケーション不足により異なる分野を見下したりするようにならないように、4分野を俯瞰した教育により専門分野以外の分野に対する理解と敬意を育むべき。また、評価も多様にしていく必要がある。
> ○ サイエンスとエンジニアリングは似ていて、アートとデザインは似ているとの誤解をされがちだが、デザインとエンジニアリングは問題解決型で、アートとサイエンスは問題発見型。両者を比べると、後者を短期間で教えるのは難しい。理系、文系という分け方ではなく、こういう分け方は意味がある。小さいころにアートとサイエンスを学ばせ、成長したらエンジニアリングとデザインをやるというのが自然かもしれない。
> ○ 教育の多様化は以前から言われてきたことで、大学も次々と新しい教育プログラムを作ってきたが、今あるものを減らさずただ増やしていくだけでは、結局どれも消化できないということになってしまう。新しいものを入れるためには何かを捨てなければならない。
発見はいくつもあるが、教科書にのるのは一部(捨てる)
> ○ ものを観察し、観察したものを理論で考え、その後、実装したりデータを集めたりという従来のサイエンスから、現在は、データを集め、End to EndのAIで解くように変わっている。データから機械によって得られる8割くらいの解決策のその先の2割を人間が解くというように教育のスタイルが変わってきている。
Artは新しい問いを発する
このスパイラルを回す必要があり、全てをシームレスにしゃべれないといけない
ガウディ、ピカソ、ミロ、ダリ
Art & Science
Music & Technologyのアート
夢やDesireがあるから作る
I/O Brush
同じ色でも、犬からもらった色は全く違う
想像を超えられる
The World as the Palette
世界がちがって見れる
ワクワクが止まらない
ミラノ
ピクセル帝国との戦い
どういうメディアを選ぶかが大事
ピクセルは抱きしめられない
GUIは見えるけど手が届かない
TUIはさわれる
frozen, rigit
Radical Atoms
顕在化しているニーズに未来はない
>マークは、日常生活で無意識に使えるレベルにまで達したテクノロジーが何をもたらすのか、という深い哲学から始めています。その哲学まで考慮して、ユビキタスという言葉を使っている人がどれほどいるでしょう。
> 彼は生前、僕の論文を読んで『ユビキタスという言葉を誤解している人が多い。タンジブル・ビットは、本来のユビキタスに通じている』と評価してくれていました。タンジブル・ビットには、彼の美学、思想を自分なりに解釈して実現する弔いとしての意味もあるのです」
Urp
オープンで、試せる
Sand Scape