南巡講話(1992)
背景
六四天安門事件で西側諸国の経済制裁によって鄧小平ら改革開放路線の勢いが落ち、保守派の発言が強まった
(当時もう一線を退いていた)
鄧小平は、国内の資本主義批判(体制が崩れるという批判)に対して
楊尚昆を同伴して地方を回って反論した
>中央のマスコミを保守派に握られていたため,南方都市に出向いて行なわざるをえなかった
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「一部の同志は計画経済を社会主義と、市場経済と資本主義を同一視している。それは違う」
>改革・開放で大きく足を踏み出せず突き進む勇気がないのは、とどのつまり資本主義のものが増え、資本主義の道を歩んでいるのではないのか、と恐れているからだ。その理由は、資本主義のものか、それとも社会主義のものかという区別ができないことだ。
>計画が多いか、それとも市場が多いかどうかでは、社会主義と資本主義の本質的な区別にはならない。
>計画経済イコール社会主義ではなく、資本主義にも計画はある。市場経済イコール資本主義ではなく、社会主義にも市場がある。計画と市場はどちらも経済手段である。社会主義の本質は生産力を解放し、発展させ、搾取と両極分解をなくし、最終的にはともに豊かになることである。」
>もし富めるものがますます富み、貧しいものがますます貧しくなれば、両極分解が生じるだろう...解決方法の一つは、先に豊かになった地区が利潤と税金を多く納めて貧困地区の発展を支持することである。
>政策を推し進めるに際して、強制はせず、運動もやらない。みんなは政策に参加したければ参加する。このようにして、だんだん多くの人民がついてきた。論争をしないというのはわたしの発明だ。論争をしないのは、計画を遂行する時間を少しでも多く得るためである。論争を始めるとややこしくなり、時間をとられ何もできなくなる。論争をしないで大胆に政策を試み、大胆に突き進む。農村の改革はこのようにやったのであり、都市の改革もこのようにやるべきである。
どういう意図の発言なのかわからない
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>経済発展を速めるには、科学技術と教育に頼らなければならない。わたしは、科学技術が第一の生産力だと言っている
>世界でマルクス主義に賛成する人が増えるものとわたしは確信している。それはマルクス主義が科学であるからだ。マルクス主義は史的唯物論を運用して、人類社会の発展の法則を明らかにしたものだ。封建社会が奴隷社会にとって代わり、資本主義が封建主義にとって代わったように、社会主義は長い発展の過程をたどったあとも、必然的に資本主義にとって代わるであろう。
保守派の批判
陳野蘋元中央宣伝部副部長「
陳雲(保守派のトップ)が言っていたが、幹部選抜基準で重視している徳才兼備は徳(共産党への忠誠)が主。徳が足りなかったな〜
趙紫陽は(趙紫陽を抜擢したのはだれだっけ!??ねえだれだっけ!??そう!鄧小平!!!)」
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深圳「深圳の発展を見よ。これが私の考え方に基づく成果だ。
陳雲や李先念は経済特区に反対していた」
結果
2月12日 党中央は政治局拡大会議で全党に学習を呼びかけるよう求める
3月の全人代
李鵬は市場経済の必要性を強調。保守派トップである陳雲が意見を
改めた>南巡講話を契機に、中国はこうした対外開放区を大幅に拡大...
>経済特区は3点、経済技術開発区・台湾投資区・辺境経済合作区は2点、その他国家級開放区は1点と勘定した。図はその地域別得点分布を表す。