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フジテレビ
日枝久は労働組合の組合長
飴と鞭で人を動かすのがうまかった
住田良能にスパイさせてクーデーターを成功
当時フジテレビの株の51%をニッポン放送が持っていた
日枝はフジテレビだったのでニッポン放送とフジテレビの関係を逆転させたかった
当時の商法で、親会社が25%以上持っていた場合、子会社は親会社の株をいくら持っていても議決権がなかった
ニッポン放送のフジテレビの持株比率を減らした(希薄化&購入)
1990年代にニッポン放送とフジテレビを上場させて株を希薄化させた
十何年かけてずっと減らしてきた
テレビ朝日を外資が買収しようとした
孫正義とルパート・マードックが不動産ビジネスに失敗して業績が悪化していた旺文社から20%以上購入
買収には失敗して買った値段で売ってる
TV朝日が政治に働きかけて放送法を改正した
フジテレビ(と言ってるけどニッポン放送では?)は経営者の支配力を上げるため資本政策をしたので、資本効率が悪かったので株価が起きた
持ってる現金より時価総額が低かった
ニッポン放送時価総額2000億円
フジテレビの時価総額4000億円
2000年代に村上ファンドがニッポン放送の株を買っていた
外資規制があったが、名義を借りてフジテレビ株を実質的に持っていた
そういうのも買った
フジテレビ社長の日枝に買えと持ちかけた
日枝は買いたかった
MSCBで資金調達した
株主に有利なので資金調達しやすい
村上ファンドはlivedoorとフジテレビを競わせた
livedoorは1000億円
当時の堀江はこのような内情は知らなかった
元々ニッポン放送は安かったから買おうとは思っていた
MSCBで1000億円用意できたので買おうとした
フジテレビはTOBの宣言をしていた
この間にlivedoorは時間内取引で株を買った
市場内取引だが時間外取引がある
TOBの抜け道
日本型ノーアクションレター制度を使って金融庁にToSTNeT-1を使ったブロック取引は市場内取引ということを確認した
村上ファンドから教えた海外の投資家から1/3を買った
村上ファンドはlivedoorに協力すると言っていた(保有株10%ぐらいは売らないと言っていた)ので、40%とったら過半数が取れる目論みだった
最後に村上ファンドに売られてしまったので、金が足りなくなった
資金繰りして一時50%超えたが、フジテレビの株は30%ぐらいしか持ってない。1000億円
フジテレビはlivedoorと取引するなと根回しした
TV業界は大体繋がっているのでこういうことができる
大企業から広告の発注がなくなった
リースもできなくなった
そういうことをやられた結果フジテレビ買収までは2年ぐらいかかる感じだった
さらにSBIの北尾吉孝がホワイトナイトとして動き、フジテレビの株を買いにくくしたり
フジとSBIでファンドを作って現金をなくなるようにしたり
livedoorは業績も伸びないし株価も低迷するし
フィクサー「俺が日枝と鳥持ってやるから、買った値段で売れ」
堀江「そんなことできるか(諸経費かかっとる)」
最終的に和解をする
livedoorに440億円で業務提携
一応圧力は止まったが、めっちゃ恨まれている
そして日枝のニッポン放送子会社計画は成功した
そして数ヶ月後に逮捕される
堀江「ありとあらゆる手を使ってフジテレビを買収が正解だった」
TV局再編のための会社
傘下に地方局なら7局分、キー局なら5曲扱いのグループとして持株会社を作れる
TV曲は認定放送持株会社の100%子会社
定放送持株会社は34%以上の株を特定の人が持てない=買収できない
放送局以外は放送局を支配できなくなった
楽天がTBS買収の断念もこれが成立したから
放送法が改正された
フジテレビは1990年代からビジネスが変わっていない
時価総額のほとんどがサンケイビルの不動産の価値
戦後の払い下げ
新聞社は政治力で政府の所有地を安く買っている
TV局は経営改善をする圧力がない
特定株主の影響を受けない
社長は人からモテる
経営効率を上げるということをやらないし、世界を目指さない
livedoorが買おうとしたのは人にリーチできるから
当時スマホがなかった
パソコンはせいぜい1000万人ぐらいしか使っていなかった
ほぼ100%近いリーチがある
全国3000-5000万人いる月額1000円のサービスを作ったら年間3600億円
当時はせいぜい着うたぐらいあったが
TV局の収入はCMがほとんどだが、不景気になると弱い
月額課金と広告をまぜたかった
コンテンツは別にいらなかった
民法は制作会社に外注してる
企業文化は20-30年経っても変わらない
フジレテビism
歴史的な価値がある
TVやラジオににでたい人は本当に多い
COVID-19の影響でローカル局は経営悪化しているから誰かが買うかも
TV局はほとんどブランド価値。ビジネスではない。ブランド価値を安く買う


こっちの方が生々しいらしい
>フジサンケイをめぐっての強烈な支配権争いが生々しく描かれています。
もう少し踏み込んでほしい
TVの歴史
NHK(BBCを真似てつくった)
民間の放送局ができた。まずラジオ局ができた
ニッポン放送
日本経団連が母体
経済団体は免許が取りやすい
戦後の労働闘争で左翼が強くなったが、アメリカは資本主義を推し進めたかった。資本主義のプロパガンダ放送をするための放送局
文化放送
聖パウロ修道院と旺文社
それぞれ申請したがダメだったので合体
放送免許
公共性が重視される
当時の郵政省が認可
アメリカで盛り上がっていたのでみんな撮りたがった
政治家が郵政省に影響力を持つことができる
地元の有力者がTV局にコネ入社させることができる
47都道府県に放送局は4, 5個ぐらいある
水野成夫らしき人が鹿内信隆らしき人を殺せ!というシーンから始まる
水野成夫は共産党員で治安維持法で投獄されたりしていた
鹿内信隆は士官候補生
2人は戦時統制経済で再生紙が技術的に確立されていなかった。国策パルプを作った。これで財界入り
結局できずに海外からパルプを輸入して刷るだけだった
水野成夫は元共産党員なので労働問題に詳しかった。日経連の理事になる。そしてニッポン放送を作る
産業経済新聞社(大阪)をサンケイ新聞に東京に持ってきた
この象徴として東京タワーを作った
どういうこと?
>1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ、当時、産業経済新聞社、大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務め...前田久吉が日本電波塔株式会社...を設立。
>久吉はタワーの完成とほぼ同時の1958年、産経新聞社を国策パルプ工業(現・日本製紙)社長の水野成夫に譲渡してその経営から手を引いたが、
この時、文化放送ニッポン放送に出資させてフジテレビを作った
免許を降りやすくするための教育的にした
キャッチコピー「母と子のフジテレビ」
その後タモリ・所ジョージなどを起用した
水野成夫はマスコミ三冠王と言われていた
新聞・TV・ラジオ局
政界にも顔がきく
この時鹿内信隆がニッポン放送を支配しようと頑張っていた
日経連には、繊維産業・炭鉱の参加者がいた
当時はエネルギー源が石炭はまだ活躍していた
しかし原油シフトが起きて落ち目の産業になった
これらの会社がニッポン放送に出資していた株を売りたがった
これを鹿内信隆が買い集めており、過半数を撮った
2年前の動画だけど続きがない基素