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「よく理解した人なら簡単に説明できる」は幻想

R.P. Feynmanは相手に理解しやすいように説明しようとすることで有名である
しばしば「人に説明できないなら理解したとは言えない」といった試金石を自分にかせる人がいる
大学教授とか高校教諭とか、他人に説明しなければいけない人がやったりする
これは教育者の姿勢としては素晴らしい
そういう人から習いたい
理論上できるとは限らないのでは?
1. 取りうる手法の制約
ボールという概念がない状態で、口だけで短時間でサッカーを説明できるか?
自分の経験上、概念獲得が必要なので難しいと思う
できている人が少ないから有名になるのではないか?
ダメな説明が蔓延っているから対比でいい説明が輝く

相手の理解度に合わせたスモールステップを作ると人によっては結論まで長すぎる
途中で読むのをやめてしまうかもしれない
基素
「相手の3倍知っていないと教えられない」とか聞く(実感としては3倍どころではない)のはこのために必要だから?
上の説明でいう1と2は両方こちらの観点
1は手法がないことによってステップを作れない、ということ(この観点は元記事には明示されていない)
2は現実的な時間でステップが作れないということ
ゴールは正しく設定できるか?
説明者は被説明者の欲しがっている情報(ゴール)を正しく想定できないかもしれない
被説明者は、欲しがっているものを正しく表現できないかもしれない

4-7が関連
3もか?
Scrapbox上のコミュニケーションはで満たさないものは何か
書き方によっては2、3
対象読者でなければ4は満たさないが、7とともにLLMで変換すればいい
5もLLMで文脈を補うことで達成できる
8はそもそもない。質問しないと。これもLLMが一役買うだろう
5、6は自分で調整すればいいので満たす


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