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目的への抵抗 (新潮新書)

>【目次より】
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> はじめに――目的に抗する〈自由
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> 第一部 哲学の役割――コロナ危機と民主主義
> コロナ危機と大学、高校/自己紹介/近くにある日常の課題と遠くにある関心事/自分で問いを立てる/ある哲学者の警鐘/アガンベンの問題提起/「例外状態」と「伝染病の発明」/アガンベンという哲学者の保守性/第二の論考/三つの論点(1)――生存のみに価値を置く社会/三つの論点(2)――死者の権利/保守主義/考えることの危険と哲学すること/社会の虻として――哲学者の役割/三つの論点(3)――移動の自由の制限/支配の条件/ルソーの自然状態論/支配の複雑性/移動の自由と刑罰/日本国憲法における移動の自由/政治家と哲学者――メルケルとアガンベン/アンティゴネ、そして見舞うという慈悲/殉教者と教会の役割/行政権力とは何か/行政権が立法権を超える時/二〇世紀最悪の「例外状態」/ヴァイマル期/改めて三権分立について
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> 【質疑応答】
> 移動の制限はある程度仕方がないのでは?/日本ではどのような制限を行政権に加えるべきか?/なぜ人々は自由に価値を置くことをやめたのか?/出発の自由と到着の自由があるのでは?/高校生が将来のためにやっておくべきこととは?/日本で健全な政治を行うために必要なこととは?/警告が届かないのはマスメディアのせい?/生存以外の価値を人々は求めているのか?/死者の権利とは?/テロリズムの脅威は?/マスクを着けたくない人々についてどう思いますか?/哲学者はどこまでその役割を求められるのか?/どうすれば話し相手を増やしていくことができるか?/主張を訴えたとして、社会は変わるものなのか?/「死者の権利」を生者が語るのは傲慢なことではないか?/現代は死生観が昔よりポジティヴになったのか?/今日高校生とのやり取りで感じたことは?
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> 第二部 不要不急と民主主義――目的、手段、遊び
> 前口上/日本では炎上しなかったアガンベンの発言/「不要不急」/必要と目的/贅沢とは何か/消費と浪費/消費と資本主義/浪費家ではなくて消費者にさせられる/イギリスの食はなぜまずくなったのか?/目的からはみ出る経験/目的にすべてを還元しようとする社会/目的の概念/目的と手段/チェスのためにチェスをする/すべてが目的のための手段になる/ベンヤミンの暴力論/「目的なき手段」「純粋な手段」/カップ一揆とルール蜂起/ベンヤミンの思考のスタイル/キム少年――再びアーレントについて/無目的の魅力/官僚制と官僚支配/自由な行為とは何か/動機づけや目的を超越すること/遊びについて/パフォーマンス芸術/政治と行政管理/遊びとしての政治とプラトン/社会運動が楽しくてはダメなのか/まとめ
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> 【質疑応答】
> コロナ危機と自由の関係について/責任について

暇と退屈の倫理学の著者による新書
ゲーム開発をするにあたり、娯楽を作ることの意味を考えさせられる
自分が娯楽で遊ぶことに対する意義も
p170
>キムが冒険者たちを惹きつけずにおかなかったのは、彼が「ゲームのためのゲームを愛した」からである、(…)人間がもはや人生のための人生を生き、人生のための人生を愛するだけの力を奮い起こせなくなったとき、冒険とゲームのためのゲームは最後の大いなる人生のシンボルと見えてくる。(…)
> キムの存在は目的に堕した世界における無目的の魅力に包まれている(アーレント『新版 全体主義の起源2ー帝国主義』)

不要不急なことは全て排除し、生きるために必要なことだけをする人生は自由ではない
「目的」は手段を正当化するためのものである
>「目的とはまさに手段を正当化するもののことであり、それが目的の定義にほかならない」
「目的」へ抵抗してチェスのためにチェスをすることが、自由な行為

p3
>自由は目的に抵抗する。自由は目的を拒み、目的を逃れ、目的を超える。人間が自由であるための重要な要素の一つは、人間が目的に縛られないことであり、目的に抗するところにこそ人間の自由がある。
計画通りにいくことが目的ではないし、目的に向かって一直線に縛られることは自由ではなくなる
目的・目標には、目標の弊害が存在する

長期的な目的を持って動いているように見える人でも、実際は目的に縛られずに自由に動いた結果かもしれない
長期的なビジョンは曖昧なものでよく、目の前の課題に一生懸命に取り組むこと p20
>ものすごく近くにある課題とものすごく遠くにある関心事の両方を大事にする。なぜこんな話しをするのかというと、その間にある中間的な領域のことはなかなか思い通りにならないんですね。どんな大学に行きたいとか、どんな会社に行きたいとか、そういったことはなかなか思い通りになりません。ですからそこに目標を置いてしまうととても苦しいことになる。でも、来週の定期試験の勉強はできますよね。

コロナ禍という例外状態にかこつけて、例外ルールが次々と適用されていく社会に懸念
特に、「移動の自由」は人間にとって非常に重要な事由
ベルリンの壁崩壊は民主主義社会において喜ばしい出来事であった
移動を取り上げられてしまうと、独裁政権から逃げられない、ブラック企業から抜け出せない、環境から抜け出せない学習性無力感を感じてしまう
支配する側にとって有利になる

三権分立において、行政権が強くなりすぎることは危険
コロナ禍での移動の制限は、立法権からではなく、行政権から始まっている
行政権が三権全てを掌握することが独裁政権の始まり