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フィルターバブル──インターネットが隠していること (ハヤカワ文庫NF)

>インターネットの検索や購買記録の傾向から、
> その人にぴったりの検索結果やお薦めを表示するパーソナライズ技術。
> パーソナライズドフィルターによって、
> 人は自分が興味を持っている情報や企業の薦める情報ばかりを見るようになり、
>フィルターバブル」に閉じこもることになる――。

もくじ
>第1章 関連性を追求する競争
> 第2章 ユーザーこそがコンテンツ
> 第3章 アデラル社会
> 第4章 自分ループ
> 第5章 大衆は関連性がない
> 第6章 Hello,World!
> 第7章 望まれるモノを—望むと望まざるとにかかわらず
> 第8章 孤立集団の街からの逃亡

2009年にグーグルが開始したパーソナライズド検索を大きな岐路と捉えている
検索結果が、人によって異なる
Web検索によって得られる情報が、グーグルによってフィルター化されてしまっている
これにより、自分が好む(とグーグルに判断されている)情報が優先的に表示され、フィルターバブル化が進む
問題は、個人情報がどのように収集され、どのように扱われ、どのような個人診断をされているかが、本人には分からない点
このパーソナリティを自由に編集できるようにすべきであると提案している
自分のどの個人情報が収集されているか分からないままパーソナライズされるのは、インターネットによる決めつけが行われる
パーソナライズされることは、ある程度は利便性がある
商品やコンテンツのリコメンド
重要な情報の notify
パーソナライズ化が進みすぎることが問題
それをフィルターバブル化というネガティブな文脈のワードとして扱っている
長期的に見て、取得できる情報の多様性が失われ、陰謀論や自分の信念を強化する情報ばかりを取得してしまう

GoogleFacebookといった無償サービスの企業が、なぜ莫大な利益を上げているか?
ユーザの個人情報という対価がビッグマネーになるからである
米国人の96%の個人情報をデータベース化しているデータブローカーの Axciom

筆者が掲げる、フィルターバブルの3種類の問題
バブルはひとりずつ孤立している
フィルターバブルは見えない
自分がどのようにフィルタリングされているか本人は気づかさせられない
フィルターバブルは、そこにはいることを我々が選んだわけではない
気づいたらフィルタリングされてしまっている
「最近のネットの広告、ポルノだけじゃない?」とボヤいてしまうのは、あなたがポルノ好きであることは把握済みで、その情報を活かしたフィルターバブルに閉じ込められているのだ的な

目だけに頼れば、ほかの感覚は弱まるように、フィルタリングに頼れば、自分で選択する力は弱まると思う
パーソナライズされていない場所に行き、自分で選択をして選択眼を磨く
大きな書店や図書館の棚を眺める
または、ランダムを使ってバブル外の情報にアクセスする


>その価値は、いくら強調してもしすぎることはない……その価値とは、自分と異なる他人と接触する価値、自分がよく知らない考え方や行動と接触する価値である……そのようなコミュニケーションは昔から進歩の源泉となってきたものであり、現代においてはその傾向が更に強まっている。
同様のポジティブな価値をこの Scrapbox でもページ化している
フィルターバブルは、異なる考え方に接触する機会を知らずしらずにうちに奪ってしまう
異なる言語の習得は、創造性を高める p139
>心理学者のチャーラン・ネメスとジュリアンヌ・クワンは、二ヶ国語を操れる人のほうが一ヶ国語しか使えない人よりも高い創造性を持つことを見いだしたが、そうなる理由は、同じものにもさまざまな見方があることに二ヶ国語が使える人は慣れなければならないからだろう。

自分が見たいと思うことを見るようになっていること

パーソナライズの過学習、過剰適合によって、個人を「深くて狭い道」に押し込めてしまう
ちょっとしたゴシップ記事をクリックしたことで「こいつはゴシップが好きなIQの低い大衆である」と学習されてしまうと、そのようなニュース記事ばかりリコメンドされる
ステレオタイプの見方と同義
p184
>すべてが予測された人生など生きるに値しない。しかしアルゴリズムによる帰納法は情報決定論につながる。過去のクリック履歴が未来を完全に規定してしまう世界だ。ウェブ履歴を消去いなければ、我々はその履歴を繰り返し生きる運命にあるーーそう表現してもいいだろう。
過度なフィルターバブル化が進み、何もかもリコメンドされる社会を想像すると、それはディストピア社会と大きく重なる

クリストファー・アレグザンダーパタン・ランゲージ―環境設計の手引より、サブカルチャーのモザイクが引用されている
孤立しすぎず、混ざりすぎない丁度よい折り合いをつける
パーソナライズと選択の自由にも、丁度よい折り合いがあるのではないか

1973年のニクソン政権時代に、米保険教育福祉省から出された提言 p321
>・自分の個人情報について、それをだれが持っているのか、どういうデータを持っているのか、どういう風に使われているのかを本人が知る方法がなければならない
>・ある目的のために集められた自分に関する情報が他の目的に転用されることを本人が防止する方法がなければならない
>・自分の個人情報を訂正したり修正したりできる方法がなければならない
>・データは安全に守られなければならない
全体的に同意kidooom

p341
>プライバシーとビッグデータには、やはりトレードオフの問題がつきまとってしまう
便利だからといってビッグデータの活用に振り切りすぎると、プライバシーの問題およびフィルターバブルの問題に繋がる
丁度良いところにしていきたい


関連:井戸端
>10000人フォローしたりしない大多数のユーザは、普段このような偏ったタイムラインを見ているのか、危険だな、と思った
ここで挙げられている偏ったタイムラインが、フィルターバブルに相当する
> つまり、いろんな話題が混ざった「濁流」は、当初はよくないもののように思っていたが、濁流でない状態を改めて経験してみると、濁流でない状態は濁流よりももっとよくないものだと感じた、という話
> サブ垢ではフォロー数を適当に増やして濁流化を進めてる