generated at
2023年5月6日
朝起きて、冬木糸一『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』の続きを読む。さらに、昨日読んだ『食客論』で取り上げられていたディオゲネスについて、納富信留『ギリシャ哲学史』にあたる。

国立新美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 愛を描く」展で、三浦大知さんがテーマソングに参加している(「2023年3月開幕・展覧会「ルーヴル美術館展 愛を描く」テーマソング『eden』参加決定!」)とのことで、Kが観に行きたいというので、出かける。14時過ぎについてみたら当日券は17時からの回しか売ってないとのことで、今日はよしておこうということになった。もうしばらくしたら、状況が変わるのだろうか。

それにしても、リトルK誕生前後のバタバタや仕事・論文書きの忙しさもあって、美術館に全然行けておらず、重要な企画をいくつも見逃しており、ヤバい。ちゃんとチェックして、しっかりいくようにしなければ。

ミッドタウン裏の公園へ歩く。MIDTOWN OPEN THE PARK 2023ということで、鯉のぼりを掲げていたり、子供向けの遊具などがおいてあったりして、楽しそうな感じ。ミッドタウン内のスーパーでお菓子とお茶を買って、しばしピクニック気分。風は強いが天気はよくて、気分がいい。子供たちを眺めてリトルKの今後を思ったり、小松左京『日本沈没』の300年後のストーリーについて話しあったりした。

お茶しながら、SF本の続きを読み、読了。56冊のSF小説が取り上げられているのだが、単にあらすじ紹介に止まらず、キーワードや現在の課題などに紐づけて語っており、また、退屈にならないいい塩梅で面白いところをピックアップしているのがうまい。読んでないものがいくつもある(というか、1/5ほども読んでない)ので、あれこれ読んでみたくなった。

このところ取り組んでいる写真の習作の続き。露出を極端にアンダーさせることで、抽象的な構造が見えてくる。撮りながら、Kとこんな話をしていた。19世紀、写真術が普及してきた時にも、絵画は終わりであるといわれたが、もちろんそんなことはなく、今も人々は絵を描いている。それどころか、17世紀にカメラオブスキュラを用いて絵を描いていたフランドルの画家たちに遡れば400年もの間、人々は技術を使いこなし芸術を作ってきた。同じことである。

>
>

帰宅して、夕食を作る。食べながら、「ゆる言語学ラジオ」を久々に観る。

ルーティンががたがたになっているので、なんとかしなければと思っているところ。また、樋口一葉の生活ぶりを読んでいて不安になってきたので、いろんな面でもっとちゃんとしなければという思いにも駆られる。とりあえず、語学学習を再開しなければ。英語については『英語のハノン』のおかげでなんとかなっているのだが、フランス語もやり直そう。また、古典ギリシャ語のような「実用性」から離れた勉強もしてみたい(『古典ギリシア語のしくみ《新版》』を購入した)。

放置していた原稿仕事に取り掛かる。書き始めると、書き過ぎなのではというぐらい筆が進み、半分ぐらいしか書けなかった。明日は天気が悪いようなので、家にこもって終わらせよう。

博士号を取るまでは、大きな書き物については博論へ向けての取り組みに専念しなければと思っていたのだが、何か一冊書籍を書かなければならないと、あらためて思う。オーディエンスを新たに作るにせよ広げるにせよ、そういう方向でひとつ、形になるものを作る必要があるように思う。しかし、実用書的なものは書きたくないんだよなあ。とはいっても、別に何か当てがあるわけでもないのだが。

----
今日のブックマーク

----