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2022年8月26日
朝6時ちょっと前に、ものすごい雷音がして起きた。部屋の非常灯が着いており、ホテル内が停電していることがわかった。窓から市街地を眺めてみると、ずいぶん暗い。広域での停電が起こっている様子。Twitterで検索してみると、この時間にも関わらず、けっこうな人数が停電について言及してた。奄美市のアカウントも6時には第一報を流していた。九州電力のWebサイトも更新され、島内全域に近いほど広い範囲での停電であることが判明。とりあえず、エアコンが停止したせいで暑くて眠れないので、情報収集する。それにしても、いろんなタイプの人が奄美にもいるのだなあということがわかったりして、こういう時に無自覚につぶやいてはならないなあとあらためて思ったりした。

30分ほど経過した後に電気が復旧したのを見届けて、二度寝。とはいえ、一度起きてしまったのですんなりとは眠れない。眠い。朝食を摂った後、チェックアウトする。そういえば、昨日は仕事をするためにずっとdon't disturbの札を掲げていたのだが、実は叔母さんがホテルで仕事をしているということで、泊まっている部屋番号を伝えたら「仕事が減ってよかったと話していた」ということで、田舎の狭さを思ったりした。チェックアウトした後、街中のカフェで少し仕事。その後、お土産を少し買ったのち、笠利方面へ車を走らせる。大叔母(祖母の妹)の家を久々に訪ねた。電話番号がわからないので突然の訪問になったのだが、いたのでよかった。こちらも3年ぶり。飛行機の時間もあるので、立ち話。自家製のミキをいただいた。ありがたい。

車で走っている間に、自分の思想について思うところがあった。スラヴォイ・ジジェクの『あえて左翼と名乗ろう─34の「超」政治批評』という本が最近出ていて、読んではいないけどそのタイトルの意気や良し、という気持ちになったのを思い出して、むしろ自分も積極的に「左翼」という自認を持つ方が良いのではないかと思ったりしたのだった。元々若い頃(小学生から高校2年生ぐらいまで)は普通にいう意味での左翼だったわけだし(本多勝一が好きでほぼ読んでたぐらい)。いまでもそういう気持ちはある。ただ、社会生活上の考えとしては合理的だったり保守的だったり自由主義的だったりするわけだが、別にそれは取り繕っているというわけでもないし、一方で自分個人のこととなるとアナキスト的な面も多分にあるし、ともあれ、一貫性がまるでないのだが、無意識にそうした無節操さを隠蔽してきていたのではないかと急に思ったのだった。しかし、別に一貫しない無節操な思想を持っていることの何が悪いのか?と自問してみると、別に問題ないし、むしろそういうものだろうという気もしてくる。そんなことを考えながら運転していた。

空港で、下野敏見奄美諸島の民俗文化誌 (南日本の民俗文化誌10)』、柳田國男海上の道』を購入。飛行機を待つ間と機内での時間で、「奄美のウナリガミと東アジアの航海守護神 ヤマトの船霊信仰の源流と媽祖信仰について」、「奄美の親族語マモロ・ヒキ・ハロヂと南九州の親族語 奄美独特の用語マモロとは何か。沖縄、南九州の親族語を比較する」を読んだ。前者は
東アジアに共通する媽祖的な信仰について幅広い見地から紹介していて勉強になったし、後者は親族の構造や語彙を、奄美を中心に南北に比較する中で、共通の内容と差異のある内容とのスケッチのような文章。これで何かがわかるというよりは、今後の研究の方向性を示したものという感じだが、面白い(それにしてもこの著者の方はすごい!)。祖父・甲東哲の本も参照されていた。

帰宅して、夕食を摂った後、少し散歩。Native English Speakers DON'T SAY this | Annoying Grammar Mistakes in Englishを聴きながら歩く。この人の英語はとても聴きやすいし、話題も面白いのでかなりの本数を既に観て・聴いている。英語YouTuberに関しては、Polyglot系の人々のもよく観ているのだが、Rafipuffというチャンネルを新たに知って、これまでのその界隈の人々とはだいぶ雰囲気が違うし、面白い。ウォッチしていくことにした。

先日のイベントで教えてもらったRESAS 地域経済分析システムというもので少し遊んでみたりした。APIもある(RESAS-API - 地域経済分析システム(RESAS)のAPI提供情報)。しかし、用意されているインタフェイスでいろいろやれて、こんな感じでグラフを作ったり、ヒートマップで直感的に把握したりなどが簡単にできてすごい(それにしても、かなり悲観的な気持ちになる予測である)。項目間のクロス分析をやろうとすると、探索的データ分析が必要になってきそう。Code for AMAMIのハックネタにしてもいいかもなあと思ったりした。


注文してあったケロッピー前田著(写真・大島托)『縄文時代にタトゥーはあったのか』と松浦年男田村早苗日本語パラグラフ・ライティング入門: 読み手を迷わせないための書く技術』が届いていた。前者は、南島に古来存在した入墨の慣習についてあらためて調べてみたいと思ったときに、最近出ていることを知ったもの。菊地成孔が帯に推薦文を書いている。彼のタトゥー大島托さんの作品だったんだなあ。自分はタトゥーは入れないと思うけど(色々面倒なのを押し切るほど、自分でもしてみたい気持ちがあるわけではないので)、その文化についてはずっと興味を抱いている。

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