2022-10-12 Wed : 妖怪・豚汁すすり
今日の暮らし
ねとらぼの調査によれば、
栃木県は「紅葉が美しい場所」というイメージを持たれているらしい。去年は、
くるみで道を走りながら
紅葉を眺めることはあっても
紅葉の名物スポットに行くほどの楽しみ方はしていなかったので、今年は
紅葉の時期をちゃんと調べてそれっぽいところに行ってみようかなあ。楽しそうだよね。
びっくりドンキーの象徴ともいえる、あのでかい木製メニューがなくなっていくらしい。まあねぇ、作業効率みたいな話になったらあれは厄介だよなあ、納得はする。ぼくにとっては、子どものころから慣れ親しんできたアイテムなので、やっぱりさびしく感じてしまうな。
数日前の日記に記した通り、
瑞穂蔵で食事をして「自宅でも
豚汁を錬成してみるか」となったので今日をその日とした。
リビングにおいしそうな匂いが充満してしまって、それに引き寄せられた妻がつまみ食いしていておもしろかった。
>@june29: キッチンから「ズズズ…」みたいな音が聞こえるな、と思って見に行ったら「妖怪・豚汁すすり」がいた
今日の健康
いろいろとサボってしまって、
お散歩だけは楽しく取り組んで歩数は 8,148 でフィニッシュ。
今日のウェブログ
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>このことからも明らかであるように、プレゼントの例だけでなく、スポーツでも、はたまたアートでも、感動を創造する主体は送り手ではなく、実は受け手なのです。これらは感動をもたらす原因にはなりますが、だからといって、感動という結果を保証するものではありません。スポーツでも、「感動」というのは、アスリートのパフォーマンスと、それを見る人たちの感受性が結びつくことで、はじめて生まれるものなのです。それゆえ、アスリートやスポーツの担い手が、あたかも一人で生み出しているかのように、「感動を与える」などと発言することに違和感が生じるのでしょう。
>しかしながら、こと現代においては明らかに、「スポーツの力」や「感動を与える」という言葉が、残念ながら濫用されている印象があります。
町田樹さんによる
スポーツと
感動の話。「受け手」が主体ってのは、本当にそうだよな〜と感じた。ぼくも、自分の内発的動機に意識を向けて、受け手のことは考えすぎずにいい意味で自分勝手な送り手として活動していきたいと思う。
超相対性理論の「美とは何か」のシリーズをここ数日内に聴いていて、ここでも「美しさ」「
芸術」と受け手の話があった。
スポーツにしても
芸術にしても、同様の構造は観測できそう。
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