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アテンションエコノミーは悪なのか



アテンションエコノミーは悪いものなのか
>Attention is a resource—a person has only so much of it.
認知資源
関心を限界のある資源として考える、というモデル化の話なので、正確か否かという議論はできるけど、それ単体では善悪のない話だと思う。
送り手側の問題
アテンションを掴むために先鋭化していく人々がいて、それはよくない。
視聴率競争とか昔からあるけれど、それにあらゆる人々が巻き込まれているのはよくない。
受け手側の問題
アテンションを掴むために先鋭化していった表現に晒され続けるのも、よくない。
簡単に気持ち良くなれる、無料のお菓子とアルコールが配られる社会で、人々は健康にすごせるんだろうか?
これも新しくはない。古典を読むのかゴシップ誌を読むのか。
インターネット由来のものではない。
週刊誌の中吊り広告とか、酷いものが多い。
週刊誌をお金を出して買わない人でも、ワンクリックで読めるインターネット上の、週刊誌由来の記事は読んでしまう (要出典)
インターネットはパーソナルで、そういう恥ずかしさが無い。
オンラインで売れるようになった物ってあるのかな。携帯サイト時代にレディコミとかが売れていたという話は聞いたことがある。

誰でも参加できる話が多数決だと人気になりがち。
投票なんだけど投票じゃないという UX がいのかなあ。
Twitter も同じか。世界に向けて発信しているんだけど、つぶやきという。
ブログに「メモ帳」とかつけてしまう感じ。
これはアテンションエコノミーというよりは多数決の話かなあ

こうやって昔話ばかりの中年が完成するんだけど、でも口頭で昔話をするのと、文章の最後に昔話を付録につけるのとでは、後者は許容されるのでは。
shokai さんの箇条書きの話と繋がりそう。昔話が鬱陶しいのは UX の問題である。

ぼくらはパーマリンクが永遠じゃないことを知っている。だから引用しなければならないし、書き続けなければならない。コピー・アンド・ペーストは世界の永続化である。なぜならインターネットにおいて、すべての行為はコピーだからだ。だれかにとって重要な情報は延々とコピーされ続ける。そして、本当に重要なことは、何度も何度も目にすることになる。しかし、自分にとって重要な情報は自分自身が責任を持つしかない。なぜなら、自分にとって大事なことには出会うことさえないかもしれないからだ。ここ、インターネットにおいてはコピーの数だけが正義

フィルターバブルだのエコーチェンバーだの、言い訳に耳障りの良い言葉に踊らされず、われわれ全員がインターネットを泳ぐ術を身に着けなければならない理由はそこにある。開発者、利用者などというくだらない垣根を飛び越えて。なんつって :)

テクノロジー企業にも責任はあるよ
力関係でいうとテクノロジー企業はものすごく強いよ