Pluralityの日本語訳
digitalという意味とpluralという意味があるらしくて、ぴったりだと言っている
おもろいが、日本語では伝わりづらそう
Pluralityは、human cognitive diversityのことだという認識
そのままの言葉だと、"人間"のpluralityの話をしているのだということが分かりづらいな〜と思っている
scopeが分かりづらい
日本語で存在しない概念を海外から持ち込みたいのであれば、翻訳もその仕事の一つな気がする
福沢諭吉とか明治の人々がやったやつ
「社会」「資本」「芸術」「職業」「生産」「思想」とかは全部、明治に海外から概念を持ち込む時に日本語が作られた
かっこよ
日本語でPlurality, Pluralismを訳すなら何になるのだろう
どんな訳が良い?
概念の意味をうまく圧縮しつつ、既存の言葉との関連があるのが良さそう
多元性, 多元主義
複素性, 複素主義
これも悪くないと思う
「素」(要素) が複数ある、みたいな
英語で複素数はComplex Numberだけど、ComplexityもPluralityと密接に繋がる概念な気はする
複素数、言葉を読むと多元っぽいが、実際の定義では1とiの二元数なのが残念
多価性, 多価主義
多くの価(
価値観)がある、というのは
human cognitive diversityに近いと思う
人間の集まりが、入力に対して複数の出力を持つみたいなのはとてもpluralityっぽい
化学でも多価という概念はあるが、あんまり繋がりはないかも
多義性, 多義主義
多くの定義, 多くの主義, 多くの道義がある、みたいな状態
>義(ぎ)は、人間の行動・思想・道徳で、「我、美しい(信じる)」「よい」「ただしい」とされる概念である
human cognitive diversityととてもalignしている
あ〜、でも逆にそれ以上の概念の広がりがないという問題はありそう
Pluralであってほしいのは"義"だけではないと思うので
human cognitive diversity は、"義"以外にもある
「多義主義」と書いた時に、「主義が多いという主義」みたいなメタ構造があるのもおもろい
これ結構よくない?
確かに
多相性, 多相主義
>この用語は、有機組織および生物の種は様々な形態と段階を持つという生物学からの借用語である。
「相対主義」という言葉における「相」が多い、というのも、pluralityっぽい
「相」という漢字
>木と目をあわせた会意文字。目が木に向かい合う事から、よく見て調べる事を意味する。また向かい合う事から、「互いに」「助ける」という意味を生じた。
これ、pluralityのcollaborativeな面を表せそう
一番好きかもしれない
Japan感(?)
一神教 vs
多神教の内の後者、みたいなところとつながるのはおもろい
僕のしてる解説(単一の中央政府と多様な人々の対比)とマージした
多元宇宙でいいんじゃないかという気がしてきた
自分の持つ"Plurality"のイメージに「多元宇宙」という言葉は合わない
多元は良いが、なぜ「宇宙」なのかがわからない
「多元宇宙」は可能世界みたいな形而上学的な話に聞こえるけど、Pluralityはそんな話はしていないという認識
とはいえAudrey Tangがこれを良いとしているなら、以下の二つの可能性が高そう
1. 自分が理解していないPluralityの側面がある
2. 台湾語に、日本語にはないcontextがある
第三の可能性として「単なるラベルに過ぎない、大事なのは中身」と思ってる説を挙げておこう
どんな名前も結局単なる旗なのであって、旗のもとに多くの人が集まるかどうかが重要であり、多元宇宙の旗を喜ぶ人が多いならそのネーミングを選ぶことは有益である、と言う感じの思考
プロラリチが公式タイトルになるのには反対していきたいw
「數位」の二重の意味をちゃんと訳出したかったら「デジタル多元性」とするしかない気がしてきた
Mandarin版で數位を使ってるところと多元を使ってるところがある
英語だと両方Pluralityになってしまう
數位には確かに「複数」の意味はあるが「デジタル」の方が強く、デジタル側面ではなく多元的側面の話をしてる時に「多元」が使われているように見える
なら「數位」が使われてる時にデジタルのニュアンスを捨ててはいけないように思う