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現象学
主観的な現実の世界観で言いたかったの、これな気がする
ちょっと違うか、主体がずれている気がするな
まあ方向性は近い

現象学的還元の結果「対象」への興味を失うと、五感(人への情報の入力)が認識につながるまでの流れを研究したいねとなる
めっちゃ分かるblu3moblu3moblu3moblu3mo
けどこれ、結局じゃあ心理学とか脳科学とかやろうという話にならない?
哲学(要定義)で何をやろうとしているのだろうblu3moblu3mo

Husserlとか
これも認識論の立場?blu3mo
> 存在論(Heideggerの立場)・・・私たちに対象が「どのように」存在しているのかについて考えるもの
えっ、なぜblu3mo
自分達の意識に「存在」する対象を扱うから存在論、としているらしい
でもそれは存在していると認識する方が先では?blu3mo
同じことをHusserlが言ってるっぽい
>認識論(Husserlの立場)・・・私たちが対象を「どのように」捉えるのかについて考えるもの
こっちの方がしっくりくるblu3mo
最近の自分がビリーバビリティとか主観的な現実の世界観でRealityについて考えていること、これだなblu3moblu3moblu3mo
>このような方法を経て、初めて私たちは、意識をメインテーマとして問い始めることができるのです。
多分最近の自分はこれを経て意識をメインテーマとして問うことに興味を持っているなblu3mo
え、じゃあ逆に現象学以前の認識論って何してたの?

現象学の価値/倫理面の話をしている
人間に共通する普遍的な価値や感情があるのでは、みたいな立場
これを現象学的な手法によって導けるのではみたいな話なのかな?blu3mo
絶対的正義ないけど、「正義」とかが相対主義だと社会回らんやんという問題意識