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Scrapboxのページは自分に適した粒度で作る

「アトミックノート」の単一性をどう知るかで話されているのは、どういった文脈なら分けるのに適切な粒度なのか、ということだろう。
ひとつの文脈でひとつのページを作れば良いでは、 ひとつの文脈であるならどれだけ長くてもいい、と書いた。
こういった反論がある。「その理屈なら、“自分”という文脈なら、まとめて1ページにしてもいいわけですよね」
自分という文脈で1ページ作ると、それは日記的なページになるだろう。
日記的なページはあってもいいが、それがScrapboxに適していないという感覚はある。特に個人プロジェクトだと。
価値はあるが、わざわざScrapboxでやらなくてもいい感じがする。
粒度が大きい
容易に情報の弁当箱になる
Scrapboxに適した粒度の“文脈”とは何なのか?という問いだと考える。
再利用性は無視した方が良さそうだと思う。
「再利用しそうな箇所」はとりあえずブラケティングして空リンクにしておけばいい
空リンクから該当ページに飛べば改めてその情報を取得出来る……と思う。
情報の蓄積と利用、といったツールの特徴から考察すると、袋小路に陥る。

Scrapboxに適した粒度なんてものは存在しないのでは?
ツールに適した粒度がある、と言うのがそもそも幻想で勘違いなのかも。
Scrapboxを使う目的は、個々によって違う。
目的が違うのに、同じ基準が当てはまるはずがない。
“メモしたいもの”の基準すら違うのに
あるのは「自分に適した粒度」だけかもしれない。
自分の衝動に従えば、自分にとって適した粒度の文脈で分割できる?
例えばcmanは「もっとこれについて考えられそうだ」と思ったらページの切り出しを行う。
この文言は別の文脈で再利用しそうだ、と思ったらブラケティングする
知識的なページ考察的なページでもまた違う気がするな。
そもそもこれらは情報の弁当箱化を防ぐためのものだが……
判断基準は「見出しを作りたくなるような」と/villagepump/情報の弁当箱には書かれている。
見出しを作りたくなる、は「自分の好み」である。判断の基準は“自分”にある。
判断基準が自分なら、当然それはツールの粒度ではなく、自分の粒度だ。

こういったことを考えると、「ツールに適した粒度で作ろう」という考えは一度捨て、「自分はどういう粒度のものが欲しいのか」と一人称で考えた方がいいのかもしれない。