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Ban権が潜在的にもたらす心理的影響の仮説


久住哲は常々、久住哲の権力が強いと自己認識している。具体的には、
「誰もScrapboxで久住をDeleteできない」
「一方、久住は他の誰をもDeleteできる」
なんか久住に方針決定権があるかのような気がする(オーナーだから)

このことは萎縮をもたらす。
この萎縮効果の自己認識と、他者へのコントロール欲とを調整しようという意志を久住哲は有する。

が、萎縮してもいいやという観点もある。

そこで、場所を複数持ち、最高権限者も複数立てることが望ましいと思われる。
アープラは管理者独裁と言われるが、2021/11/4現在、管理者任命権を持つ会長と連絡が取れず、管理人という立場の位置づけがびみょ〜に変化していると久住哲は考えている。
これはこれで別なページで考察すべきことだが、少し考えを箇条書きにすると……
王位継承の不可能性
初代管理人(会長)の位置づけと継承管理人の位置づけとの微妙な違い
これらによる管理人独裁制の布置変化

アープラノートのオーナーをずっとやっていての感想なのだが、(サイトとして)Scrapboxは Discordと全く依存関係にないので、ある意味ではアープラノートは独立している。すなわち、Discord管理人によってアープラノートからBanされることはない。この事実、権力的な事実は意外に大きい。
(私がBanされるようなことをしているとか、したいとか、そういう意味ではない。)

こういった独立プラットフォームをいくつか持っておくと、権力的な問題(……それは存在しない可能性の方が高いのではあるが……)の解決につながる。