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「悪いものにリソースをさきすぎない」についての考察(塩ミ)
悪いもの」の判断基準は「自分にとって」でありうる?
「悪いもの」はアープラの中に含まれるものだけでなく、アープラ自体、アープラ全体も対象になる?
ならない久住哲
ここでの「悪いもの」は、アープラにおいてある、「自分にとって許されないもの快くないものとして、それに自分のリソースをさくことについて
「悪いもの」にリソースをさく意義はあるのか?
「悪いもの」はリソースをさくほどに価値あるものなのか?
「悪いもの」にリソースをさくことで自分に得はあるか?
「悪いもの」にリソースをさかないことは、自分に害を与えるか?
ここら辺のことを考慮に入れた時、余程のこと(脅迫とか誹謗中傷とか人格否定とか)がない限り、大抵の場合「リソースをさかない」方が「リソースをさく」よりも益が大きい
アープラはコミュニティっすよ。もちろんアープラはコミュニティではなく特性であるという説もあるが、ページの前置きをみると異端的な思考ということなのでおおむね「コミュニティ」ということでええやろ。イタロー
あと人生云々は自分で判断することだから「うむそうか」としかいえぬ。まあ「考察」だからそういう感情もでてくるのかも知れないけれどもイタロー

さしあたり、悪いもの=まともでない意見/まともでない人なので、無闇な・苛烈な反アープラとかは基本は悪いものあつかいされる。といっても、「さきすぎない」とあるから、ちょっと目くばせくらいはあるかもしれないが。ないと思ったほうがいい。イタロー
まともな方法でまともな意見をアープラに対して述べる、とかだったら明らかにはわからないが、それも工夫が必要だと思われる。イタロー