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『論理哲学論考』の言語観

それではヴィトゲンシュタインの哲学は前期から後期にかけて何が変わったのでしょうか。

もちろん多くの要素がありますが、その中で一つ。

「言語観の変化」があります。

まずは「前期」について。

ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の中で考えていた言語は、このような言語でした。

「テーブルの上にリンゴがある」

このような言語の特徴は大きく二つあります。

①現実を写し取る機能
テーブルの上にリンゴが乗っているという現実の情景がまず存在し、
それを写し取るように言葉が生成されています。

これを「写像理論」といいます。

余すことなく全てです。理論上はですが。

これがもう一つのキーワードである「語りうるもの」にもなります。

余談ですが、理論上全てが記述可能という考え方は「ラプラスの悪魔」にも通じるところがありますね。

②名詞には対象が存在する
特徴の二つ目には、「名詞にはそれに対応する対象が存在する。」という考えがあります。

「テーブル」という名詞には現実のテーブルが対応し、「リンゴ」には現実のリンゴが名詞の対象として対応しています。

このような「名詞には対象が存在する」という考え方が、後期のヴィトゲンシュタインがやり玉に挙げる要素になっていきます。

このような言語観が前期ヴィトゲンシュタインの特徴として挙げられます。

むしろ彼は前期においては、言語のこのような限られた側面にしか目を向けることができなかったと言えます。

しかし、実際の言語の機能はそれ以外にも多種多様な面が存在します。

そのような言語の別の側面に気がついていくのが、ヴィトゲンシュタインの後期への変化になっていくのです。

また余談ですが、哲学や物理学で例え話に登場する果物はほぼ必ずと言っていいほど、リンゴなんですよね。これがみかんや他の果物だとなぜか格好がつかない。理由はわからないですが、慣習的なものなのか、面白いですよね。

はじめ