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『存在と無』

>内容は、現象学的立場と存在論について記述された『緒論』と、意識の志向性、無化作用について記述された『第一部 無の問題』、対自存在即自存在について記述された『第二部 対自存在』、他者のまなざしと自分の意識について記述された『第三部 対他存在』、一切の行動は「持つ」「為す」「ある」に集約されるとして、それを基に実存的精神分析を記述した『第四部 「持つ」「為す」「ある」』の四部構成になっている。
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>あるところのもの」である即自存在に対して「あるところのものでなく、あらぬところのものである」対自存在としての人間的現実は、否定性、無化作用、脱自構造であり、その意識は自由であることを余儀なくされる、即ち「人間は自由の刑に処せられている」。この無化作用的自由は人間を不安にさせる、そこから自らの自由を自分自身に隠す「自己欺瞞」が生じる。一方対他関係は対自の自由が必然的に他者を客体化(まなざし)してしまうので相克的関係に留まる。しかし対自は、自由であるため、選択によって自分自身を構築してゆくため、自己のあり方に責任がある。非人間的物質的「即自」と他者との相克関係の狭間で人間の生は「無意味な受難」と結論付けられる。


>人間の意識の在り方(実存)を精緻に分析し、存在と無の弁証法を問い究めた、サルトルの哲学的主著。根源的な選択を見出すための実存的精神分析、人間の絶対的自由の提唱など、世界に与えた影響は計り知れない。フッサールの現象学的方法とハイデッガー現存在分析のアプローチに依りながら、ヘーゲルの「即自」と「対自」を、事物の存在と意識の存在と解釈し、実存を捉える。20世紀フランス哲学古典として、また、さまざまな現代思想の源流とも位置づけられる不朽の名著。1巻は、「即自」と「対自」が峻別される緒論から、「対自」としての意識の基本的在り方が論じられる第二部までを収録。