generated at
読書について
(岩波)
(光文社文庫)

>読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆け巡る運動場にすぎない。読書をやめて、他人の思想が私たちの頭から離れていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日中、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われていく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ。

読書しまくってたときマジで頭使わなくて楽だった mtane0412
SNSとかで年間に読んだ本の冊数を自慢する人がいるのを連想したnishio
自分に自信のないタイプの人がそれをみて「たくさん本を読めない自分はもっと頑張らなければならないのでは」みたいに思ったりする
「読んだ本の冊数を自慢する」のは他に自慢できるものがないからnishio
これはどなたの意見ですかね? 少なくとも事実とは認められない 増井俊之
これは私の解釈ですnishio
なるほど、それは暴論だと思います 増井俊之
もちろんそう思うのは自由ですが、最初はアイコンなしに書かれていたので、そんな常識でもあるのかと思いました 増井俊之
別に自慢したって良いじゃんと思いますし、何が問題なんですか? 増井俊之
二郎に行った回数を自慢するとか登った山を自慢するとかと何が違うんでしょう?
任意の人は任意のことを自慢しても良いですよnishio
それを見た人が「この人はそんなことしか自慢できるものがないのだなぁ」と思うのも自由です
これは解釈です
成果を端的に紹介する手段としては悪くない気がするinajob
「で、何を得ましたか?」 と聞いてみてさらに何かが引き出せるかは気になるところではあるが・・

mtane0412
>だからほとんど一日中、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われていく。
積読してるのであまりコメントすべきでもないかと思ったが、この部分は自分の経験とも重なってとても共感できる部分
立場を表明しておくと「読書すると馬鹿になる」という解釈についてはよく分からない
最初は雑ではないかと思った
増井俊之が「馬鹿」をどう定義しているかによるなとも思った
「自分の頭で考える能力」をとりわけ重要にしていて、その能力が低い状態を「馬鹿」と呼ぶという可能性はありそうだと思った
研究者なので特に
馬鹿といってるのはショーペンハウエルです 増井俊之
そうなんですか?mtane0412
mtane0412の感覚では「おそろしくたくさん本を読んで」「自分の頭で考える能力」が著しく低い人物を「馬鹿」と呼べないと感じる
自分で考えられなくても本から知識を引き出せて、その量がおそろしくたくさんだったらなんか「馬鹿」とは呼べない気がする
もちろん、「自分の頭で考える能力」がないとそもそも上のような状態にすらならないのかもしれない
ちょっと話がずれますが、その手の人物を内田百閒は「なんでも知っている馬鹿」と表現しているようですhatori
mtane0412は「おそろしくたくさん本を読んで」いた時期があった
この読書量自体は多分人に比べるとめちゃくちゃ少ないのかもしれないが、とにかく朝起きて寝るまでずっと本を読んでいた
生物学の本を読み漁っていた
キャンベルから始まり興味のある本かつ大学テキストに使われていそうなものを中心に選定して読み漁った
とりあえず学部で最初に抑えないといけないレベルは一通りやった(と思いたい)
だいぶ怪しいが
よく整備されたハイウェイを爆走するようなもの(知の高速道路)と言われるが、天才たちの研究の成果をわかりやすいテキストに編集する人たちの手を通してまるで自分が考えて正解にたどり着いているような体験がとてもよかった
なので「自分の頭で考える能力がしだいに失われていく」というのはよくわかる
ちょっとわかるtakker
これを和らげるには、問題演習が効果的かな
本当に理解しているのか、実際に自分で考えられるのかをテストできる
脳内で「なんとなく」「わかったつもり」になっている域を越えるだけで、自分で考える能力までは身につかない?
知識問題じゃなければ大丈夫かな
問題集がない場合がけっこう難しい
知識問題ならAnkiみたいな形式にすればいいけど
それ以外は作り方が決まっているわけでもないし、とくに小論文系だと答え合わせができなくなる
まさにそうmtane0412
テスト効果という言葉があった
なので実は「自分の頭で考え」ないと読書量が凄まじくてもその書物の情報を利用できないので結果的に「馬鹿になる」という表現も正しい可能性もあるなぁとか色々考えた
ただ「自分の頭で考える能力が次第に失われる」という記述は「ダーウィンがこう言っていました。」「ニュートンがこう言っていました。」みたいな形で本の知識を活用してある程度正しいとされる知識を利用できる状態だが、その実「自分の頭で考えて」てないみたいなことを言ってそう
本を読んでないので何も言えない(ダメ人間)
結果として
前: 何も積み上げてこなかったなにもないおっさん
後: 何も積み上げてこなかったなにもないおっさんだが、生物学の基本的な部分は抑えている
もともと「自分の頭で考える能力」などないに等しいので、「自分の頭で考える能力」減少分よりも得た「生物学」の知識の方が多いと感じる
これを「馬鹿になる」と言われるとちょっと違うんじゃないかなという意見
もともと馬鹿やんけ!
この比較でアンフェアなのは読書だけではなくScrapboxに記述して知識を構造化する作業をしていたことがあるか
アクティブ読書はまさに読書に「自分の頭で考える」行動を追加するスタイルだと思う