認知主義
認知主義とは?
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>ハイデガーもメルロ= ポンティも、 カント哲学のもつ認知主義 (cognitivism) を明確に拒否している。
> 彼らは、 客観的世界の経験を私たちに可能にする基本的構造が概念的なものであるとは考えないし、
> そのため彼らは、 カント的またはフッサール的な用語によって対象の構成について考えることはない。p.13
>ハイデガーは、 私たちの注意を意識的主観ではなく、 情態的で没入した熟練した活動の基礎的 な役割に向ける。
> そうすることによって、 ハイデガーは哲学における認知主義 の長い伝統を突き崩し、… p.85
認知科学はヴントのアプローチに似ている
ヴントを超えてデカルトにまで遡る
実際チョムスキーの著作の一つは「デカルト派言語学」
>すでに見たように、 ハイデガー、 ゲシュタルト主義者、 メルロ = ポンティ、 ギブソンは、 明確かつ詳細に合理主義的な仮説に反論しているし、
> 知性と悟性 (understanding) は心の領域に属し、 身体や世界の特性とは無関係だとする仮説にも反論する。
> 1960年代初頭、 ヒューバート・ドレイファスはこれらの議論を用いて、 認知科学とりわけ人工知能において立てられた仮説に反論した。 p.208
認知主義と認知科学の関係についての明確な記述をまだ見つけられてない
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ざっくりいうと認知科学に対してドレイファスが合理主義的じゃないかと主張してて(8章)
それを受けた「新しい認知科学」がいくつも生まれてますよ〜という話が9章
「メルロポンティもハイデガーも認知主義はよくないっていってるんだからね!」というために「超越論的現象学の物語: 2, 3, 5, 6」がある
ドレイファスが「認知科学とりわけ人工知能において立てられた仮説」に反対した
(この仮説って具体的には「人の理性は脳というハードウェアの上で動くソフトウェアの計算によるものであって、コンピュータの上で動くソフトウェアによっても理性が実現可能である」とかかな)
個人的には1960年代にドレイファスが「認知科学とりわけ人工知能において立てられた仮説」に反対したのは、当時はそれを信じるに足るほどAIが発展してなかったからに過ぎないのでは
昨年のAIに関する盛り上がりを見た後だと頭の硬いおっさんが「無理に決まってるだろ!」と言ってるだけのように感じちゃうなー
「
身体性が重要なんだ!」的なことを言う人はしばしば見かけていて、個人的には「あなたがそう思うならあなたはそれに人生の時間を投資したらいいんじゃない?僕は共感してないけどね」と思っていた
今まではあんまり深掘りしてこなかったけど、この9章につながる流れは彼らが何を考えてそういうことを言っているのか理解する助けにはなりそう