言語化のデメリット
あるいは、言語化できる部分と言語化しづらい部分がある時、言語化できる部分に全体の印象や結論が引きずられてしまう
言語化しづらい部分の情報が欠落する
「言語化できないという事」を言語化すべき?
うかつに名前を与える(言語化する)と呪いになるケースがある
赤と黒読んだことないけど…
主人公ジュリアン・ソレルとの逢瀬をした御婦人が、自分たちの関係は何に当たるのか考えたときに「姦通」を当てて慄然とする場面があるらしい
「真実の愛」を当てはめてたら違う展開になりそう
↑と逆の意見
>この言語化って作業が非常に重要で、たとえば味音痴を自称する人でも、食事の度に感じた味や香りをいちいち言語化し声に出すことを習慣化するだけで、半年もすればびっくりするほど味覚も嗅覚も鋭敏になるんです
はっきりと言い切っているけどホントなのか…
逆の意見というか 言語化しづらい部分を言語化するとご利益があるよ、という主張かな
だと思われ
僕も実体験としてこれは賛成できる
注意をむける練習だと思えばいい
一緒に食事をしている人が「まさにそう!」と言いたくなるような言語化を目指していると違いに敏感になる
人に判定してもらうことでより客観的な言語化ができてそう
感覚入力を受け取るだけで終わらせず、その感覚入力の弁別が必要なタスクを何かやることで、
フィードバックを受け取れて弁別能力が高まる?
人間は日頃から意識していること(に関する刺激)を重点的に受け取る
言語化により、意識する対象がそれ(言語化の対象)になる
あとは言語化のネタを探す感じで積極的になるから純粋に機会が増えて鍛えられる
日記やブログ書き始めていろんな経験するようになったとか