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生きる=成長する
若者特有の考え方かもしれない

成長の呪いを見て思い出した会話nishio
僕「未踏ジュニアであるプロジェクトが『昨日の自分の運動量からの伸び』でスコアがつく仕組みを作ってて面白かった」
妻「明日の自分が今日の自分より優れていることを当たり前だと思えるの、若さを感じるね」
僕「あー、確かに。自分が日々衰えていくことを突きつけられているとそういう発想になりにくいのかもなー」
生きる=成長する」という考えに関連しそう
興味深いshoya140


若者特有の考え方、確かにblu3moblu3mo
/blu3mo-public/現状を肯定しつつ、漸進的な進歩を目指すと幸せ?とか、「健康に人生を続けていれば多少は成長することができる」という前提があったな
今までの人生で自分の能力が衰えることが無かったので
(忘却することは当然あるが)


老化による衰退だけじゃないなと気づいたnishio
僕はこれ以前と以降で考え方が変わったのだと思う
これ以前に関しては、素朴に自分の能力を自分の価値と同一視してた気がする
それが環境の変化などによって簡単に失われるのものだという観測事実を目の当たりにして下記の考え方に変わったように思う
>己の価値観に沿って自分に値段をつけていると、何らかの理由でその価値観を見失った時に自分を見失ってしまう
>自分の存在を根拠として「自分にとっての自分の価値は何よりも高い」ってすると、理由が失われる時は死ぬ時だから大丈夫nishio
SOC理論みを感じるmtane0412
>人は,壮年期から老年期にかけて,成長と獲得(身体機能を強化したい)から維持(身体機能を保ちたい)そして喪失の防止(身体機能を低下させたくない)へと自然に移行していく(Ebner et al., 2006)。この移行を通して,人は刻々と変化する獲得と喪失とのバランスをとるようになり,選択最適化補償理論の過程を通して,主観的な幸福感を維持しようとする。SOC方略は,資源が乏しくなった超高齢者や障害のある高齢者などに特に有効に機能するのではないだろうか。SOC理論は心理学的なサクセスフル・エイジングを考えるうえでとても重要なものであり,これまで以上に臨床場面で応用されることが期待される。
この理屈は知らなかったけど、創作においては自分の価値を低く評価せざるを得ない場合があるので/motoso/複数の評価軸を持つ(自己肯定感)などとして能力と切り離せるような考え方を自然に生み出していた基素

対義句
間に生きる=状態を維持すると言うのがありそうinajob
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