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創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで(講談社選書メチエ)
> 創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで
> 著:松本 卓也

内容紹介
>創造」と「狂気」には切っても切れない深い結びつきがある──ビジネスの世界でも知られるこの問題は、実に2500年にも及ぶ壮大な歴史をもっている。プラトンアリストテレスに始まり、デカルトカントヘーゲルを経て、ラカンデリダドゥルーズまで。未曾有の思想史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい1冊である。まさに待望の書がここに堂々完成!

>アップル社の最高経営責任者だったスティーヴ・ジョブズが「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネルは、企業に創造性をもたらすには「クレイジー」な人物を雇うべきである、と説いている。ビジネスの世界でも「創造」と「狂気」には切っても切れないつながりがあることを、一流の企業人は理解していると言えるだろう。
>だが、この「創造と狂気」という問題は、実に2500年にも及ぶ長い歴史をもっている。本書は、その広大にして無尽蔵な鉱脈を発掘していく旅である。
> その旅は、「神的狂気」について論じたプラトン(前427-347年)から始まる。次いで、メランコリーと創造の結びつきを取り上げたアリストテレス(前384-322年)から《メレンコリアI》を描いた画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)、そこに見出される創造性を追求したマルシリオ・フィチーノ(1433-99年)を経て、われわれは近代の始まりを告げるルネ・デカルト(1596-1650年)の登場に立ち会う。

> デカルトに見出される狂気と不可分のものとしての哲学を受けて、あとに続いたイマヌエル・カント(1724-1804年)は狂気を隔離し、G. W. F. ヘーゲル(1770-1831年)は狂気を乗り越えようとした。しかし、時代は進み、詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843年)が象徴するように、創造をもたらす狂気は「統合失調症」としての姿をあらわにする。そのヘルダーリンの詩に触発された哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976年)が提示した問題系は、ジャック・ラカン(1901-81年)やジャン・ラプランシュ(1924-2012年)を通して精神分析の中で引き受けられる。そして、ここから現れ出た問題は、アントナン・アルトー(1896-1948年)という特異な人物を生み出しつつ、ミシェル・フーコー(1926-84年)、ジャック・デリダ(1930-2004年)、そしてジル・ドゥルーズ(1925-95年)によって展開されていく──。
> このような壮大な歴史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい。まさに待望の堂々たる1冊が、ここに完成した。

目次
> はじめに──創造と狂気は紙一重?
> 第1章 「創造と狂気」の関係を問う
> 第2章 プラトン──神的狂気と創造
> 第3章 アリストテレス──メランコリーと創造
> 第5章 デカルト──狂気に取り憑かれた哲学
> 第6章 カント──狂気を隔離する哲学
> 第7章 ヘーゲル──狂気を乗り越える哲学
> 第8章 ヘルダーリン──ついに統合失調症が現れる
> 第10章 ラカン──「詩の否定神学」の構造論化
> 第11章 ラプランシュフーコー──ヘルダーリンと父の問題
> 第12章 アルトーデリダ──病跡学の脱構築
> 第13章 ドゥルーズ──「詩の否定神学」からの逃走
> おわりに──「創造と狂気」はどこへ向かうのか?

俗に「天才と狂気は紙一重」というけれど、このことについてより深く考えたい方にお勧めですhatori
面白さは保証します!
試し読みページから詳細目次を見ると、より扱っている題材の広さがうかがえるので是非見てみてください

ラカン派とか統合失調症精神分析とか症例Aで色々出てきた単語があってとても気になるtetsuya-ktetsuya-ktetsuya-k

面白そうmtane0412shoya140