>これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。(羅生門/芥川龍之介, 1915)
>「“全然”は本来否定を伴う副詞である」という言語規範意識は、国語史上の客観的事実と反しており、「迷信」と呼ぶべきものであることは、現在では相当程度知られている。筆者は、この規範意識の発生時期はいつか、戦前にまで遡れるのか、という問題について考えるため、先行研究では注目されなかった、戦後を目前に控えた時期である昭和10年代(1935 ~1944)の国語学・国語教育・日本語教育の専門誌における“全然”の使用実態を調査し、当時のこの語に関する規範意識について考察した。