健全ではないコミュニケーション
1対多でのやり取りで、少数側の発言や個人的な属性に対する言及が、責められているように感じられてしまうもの
人格批判ではないのだが、どうしてもそのような印象を受けてしまう
理論的に正しいのだけど、
脱線している状況で、複数人から自分1人への指摘が続くてあまり精神的によろしくなさそう
理論的に言っていることが正しいからこそ「
通じるように話せ」という圧力が生まれがち
歩み寄りが果たされにくく、一方が一方にコストを強いてしまう
あと本人を置いてけぼりにして、問題点の分析,
実況を始めてしまうのもあまり良くなさそう
ますます元の話題から遠ざかっていくし、本人も干渉できなくなってしまう
発言に対する言及と属性に対する言及は分けて考えたほうが良さそう
>人身攻撃は、論理的には論証の前提の真偽はそれを述べている人とは独立しているので、演繹的には妥当ではない
上の
図でいう
誤りだまで言わなければ論理的な間違いはせずに済む(客観的事実の表明で済む)が、結局その間違った推論をするように(発言者への信用を失うように)周囲を誘導しているだけ
「Aは不適切な表現をすることが多い」は割と
客観的事実を述べているようにも見えるけど、これはどうだろう
それを、相手の信頼を落として
議論を有利に進めるために言えば
人身攻撃ですね
(「不適切」も「多い」も客観的とは言えませんが...)
これ
どの
判断基準を用いて「不適切」「多い」なのかがわからない。
厄介なのは、
判断基準を明示しないと、
客観的であるかのように錯覚してしまうこと
B「Aは私(=B)が不適切だと思う表現をすることが、私(=B)が見ている範囲に限ると多い」
なら、「私が不適切だと思う表現」の部分を
リンクで表現できるので、もっと短く言えそう
ただ、
観測範囲問題に帰着されてしまうと議論が続けられないかもしれない
「いや、自分の見ている範囲では…」という話をしても仕方ないし、反論しようがない
でも10個行動する人の3ミスと100個行動する人の3ミスだと、後者の方が仕方ないと思える
ミスった後のリカバーがどれだけなされるかが重要かも?
1つ1つは真っ当な批判であっても、数が多くなることで「よってたかってイジメている」ように見える
特にやられている側からそう見える