客観的事実
対義語は「主観的事実」でいいのかな
都合の悪い事実を隠す行為とかよく行われる
歴史認識問題
事実という単語は「〇年◯月◯日に〇〇で地震が起こった」などの実際に起こったことを示す単語であり、客観的も主観的もないでしょ、と思っている
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「〇年◯月◯日の◯時に私の心に不快感が生じた」は「心的事実」や「主観的事実」と言える……という人はいそう
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「私がそれに傷ついたのは事実だ」という表現は自然である
が、
ホモサピ界では客観的事実みたいな変な単語が普通に使われている(
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?)
似たような色と単語選択をしており見分けにくくて申し訳ないが
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ではなく
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の発言でございます
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あなたの指をペンチで挟んで力を入れた時にあなたが「痛い!」と言ったとする。あなたが痛いかどうかは私には検証できないから客観的ではない
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では事実ではないのか?ペンチで挟まれている側からすると痛いのはれっきとした事実だと感じる。他人が共感しようがしなかろうがそれが事実であることとは無関係だと感じる。
なので、これは「主観的事実」だ
一方で「客観的事実」ではない
この二つを区別するために「主観的事実」「客観的事実」という言葉がある
なるほど、事実という言葉には「実際に起ったこと」という意味と「本当のこと」という2つの意味があるのか
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自分は「本当のこと」に対しては真実と言う言葉を使って表していて、事実というのは「実際に起ったこと」のみを表す言葉だと思っていたが、実際はそうではなく、自分の勘違いだったということに気づいた
「実際」とは?「本当」とは?といった問いに向き合うとまた別の話になってくるけれども
> 「事実」は、単に「起こったこと」の意味でも使うが、「真実」は、それが うそでない、という場合に使う。「事実をきちんと報告する」に くらべて、「真実をきちんと報告する」は、「うそをつかずに」という意味合いが加わる。法律では、「虚偽の事実」はあっても、「虚偽の真実」はない。
👀
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「実際に起こったこと」も主観的か客観的か分かれる場面がありそう
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同じ現象でも、解釈が異なることは十分にあり得る
Aさんは「Cさんが嫌味を言った」と言い、Bさんは「Cさんが冗談を言った」と言うとか
上記の例でも「ペンチで挟まれている側」は実際に「痛い」が発生している
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挟んでる側「僕は痛くない」
「この箱は赤い」は主観的事実?客観的事実?
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主観的な気がする
赤というクオリアを共有している人にとっては客観的だと思っている?
色はスペクトラムなので主観的だと思う
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「この箱は正方形である」は事実だという認識
眼球のレンズの歪みが人によって異なるかもw
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箱が数学的に正方形であることはあり得ないな(そういう話ではない)
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確かに。例えが悪いな
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純粋な赤色からの距離は客観的に求められるのでは
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「ディスプレイ上ではこの色で表現される」は客観的だけど、「この箱は赤い」だと主観的になりそう
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錯視で別の色に見えたり同じ光の成分が網膜に届いても色の見え方が違う人がいたりする
事実とは「実際に起こったこと」だが、それを観測・解釈するかは人次第
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解釈する人が多いものが客観、なのかしら?
科学的に正しいものは客観?
「(現時点では)客観性が高い」と言いたい。「客観」だと客観/主観の
二分法になってしまいそうなため
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いいね
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キリストでもイスラムでもいいけど流行ってる宗教が前提とされているものも客観?
「科学よりかは客観性が低い」と言ってしまいたくなるが、たとえば中世ヨーロッパなどキリスト教が当然とされたような社会では十分に客観的だとみなされていたようにも思う
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デジタル大辞泉で「客観的」を引くと「主観または主体を離れて独立に存在するさま」だが、これは「主観または主体を離れて独立に存在する」ものを何とするか、ということについての主観的解釈の集合なのではないか
難しく言ってるけどイコール「信仰」だと言って良いと思う
キリスト教的な視点から見ると、神は人間を離れて独立に存在するから「神は客観的に存在する」だよね
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事実Xとは、あるモデルMに基づいて解釈したときに常に意味Yになるようなものを指す、みたいな
Y = M(X)
ここらへんに絡むのは