人は、複数の顔を持っており、コミュニティによってだし分けている
> 1人は、複数の顔を持っており、コミュニティによってだし分けている
ここでいうコミュニティは対面での関係だけでなく、internet上での関係も含まれる
複垢を使う根本的な理由は、関係ごとに自身の
切り口を変える必要があるからだろうか?
サービス自体がアカウントを使い分けられるようになっていれば、余り気にせずに済むことなのかも
e.g.
workspaceごとにprofile変えられる
ブラウザ版とPC版は最近切り替えられるようになった
逆に
Twitterはcommunity単位で区切られていない、だから自分たちで
複垢を作って使い分けるほかないのだろう。
>インターネット上のみの関わりで、なんだかんだで 5 年近い付き合いになる人も居るし、こういう場所で軋轢が生じてしまうことは避けたい。なので、ここ数ヶ月はネット上で人格を使い分けるか、今のまま行くかということで結構悩んでいるのだった。
> こうやって色々考えて結局話せないという状況を鑑みたら、やっぱりインターネットでも複数アカウント・複数人格でやっていった方が色々な方面に向かうことができて良いのかなあ…
逆に最初からSNSで人格を使い分けずに発言していれば、このような悩みと不変なのかなあ
こういったのを見るとインターネットに限った話ではないのかなぁと思う。。
>ゴフマンは人々が「役割」を演じる場を「表局域」と「裏局域」とに分類しました。
> 「表局域」とは演劇の比喩でいえば「舞台上」、すなわち人が不特定数の人間に見られることを前提とし、その場にふさわしい演技をする空間のことを指します。
うーん……
解像度の低い感想だけど、
自己矛盾に陥って悩んだりしないのだろうか?
コミュニティどうしの距離が遠ければ、複数の人格演じても社会的には大丈夫そうだけど……
親と友達とで喋り方が違う、位の違いは誰にでもあると思ってます
なので、ここでいう「人格」とはどの程度のものなのかが議論する上で難しいと思っているのですが、人格の区分って個々人の内面のものなのでなかなか難しい
全く立場の異なる2つの集団に属して真っ向から違う主張をするということがあると葛藤が起きそうですが、例外的な事例な気がします
「自分の興味分野を分割してコミュニティに属する」と思うと、自己矛盾も生じなさそう。