ツッコミ徒然草
とかツッコむ
真面目に古文用例の勉強もする
ぜひご参加ください
妙に徒然草に詳しくなってしまった
序
> つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
ものぐるほし
て何やねん
狂ってるわけだよね?
怪しくて狂ってるわけか
「ヤバい」みたいな?
書きつくる
とは
書き綴ること?
よしなしごと
とか そこはかとなく
とか現代でも使うカンジ?
要するにブロガーやんけ
「こそ〜けれ」みたいな係り結び、口語でも使ってたん? 書き言葉だけ?
四十段
> 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かゝる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
なんやねんこの話w
どこが絶賛ポイントなんです?
少なくともこの異様エピソードが真の理由ではない気はしますね
???何を言っているのですか?
言ひわたる
言い回ることかな?
求婚 みたいに書いてある訳もあるけど
人に見ゆべきにあらず
人前に出せない ということか
つまり 結婚なんてさせられへん てこと
五十二段
> 仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。
これは有名なやつ
かちよりまうでけり
先達はあらまほしき事なり
はよく知られていると思う
松下の社員はいつも岩清水にお参りするのだっけ
仁和寺からは15Kmぐらい?
八十二段
>「羅(うすもの)の表紙は、疾(と)く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
> 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段(しやうだん)の欠けたる事のみこそ侍れ。
とある草子ってあるから、おっ、
清少納言か!?って思ったけど違うっぽい
枕草子はワンノブ草子なんでしょうね
製本してるやつじゃなくてルーズリーフっぽいやつらしい
綴じてはあるんじゃないの?
でした。
製本と
装丁あたりの解像度が低くてまだよくわかってない
現在の
書籍は全部草子なのか?
だったら草子という言葉は消えてあたりまえなのかな
つたなき者
つたないで残ってるやつだ
1. 愚かだ。劣っている。
2. 未熟だ。へただ。
3. 運が悪い。
4. 見苦しい。みすぼらしい。
定期的に出てくる ゝ
なんやねん
前の文字の繰り返しやで
おゝきに
>すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。
八十五段
> 人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗る。己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、この人は、下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。
> 「形だけでも賢人に学ぼうとする姿勢がある人も、賢人なのである」というのが第八十五段の本来の主題
ただ読むより全然楽しいし勉強にもなる
ツッコミ徒然草はプロジェクトにしようかな
このブロガーめちゃくちゃ濃いから単独でいけそうですね
たしかに
ツッコミ徒然草をScrapboxデータとして売るのだ 全部でなくても、途中まででもいいし
100円なら買うんじゃね?
このページ編集してるうちにいろいろ勉強になってるし
岩清水の場所とか製本の歴史とか
謎の四十段とか
ツッコミシリーズができそう
ボディビルの掛け声みたいなこと書きながら読んだら面白いかも
〜いい血管してる!〜
〜どんどん迫ってくる!〜