お嬢様言葉の歴史について
お嬢様言葉の歴史について
> お嬢さまことばは、その名の通りお嬢様が使う言葉としての印象が強いが、この言葉が女学生言葉と呼ばれていた明治の頃は乱れた日本語とされ下賎なものとされていた。その後、女子学習院などの上流階級の学習の場において定着することになり、それが現在のお嬢さまことばの印象の元となった。
なぜ下賎なものが上流階級の学習の場で定着したのでして?
>「女学生と言語」という一文が出て居り、近頃は下層社会の子女が、女学校に入るようになったものだから、お店の娘達の言葉が、 女学生達の間で使われるようになってしまった。 なくなっちゃった、おおいやだ、行っててよ、見てよ、行くことよ、よくってよ、あたいいやだわ、 おっこちる、のっかる、などがそれだ、といってある。(p.138)
なるほどですわ〜〜
下流の方々の言葉を皆様お使いになったようでしてよ~
明治の頃は乱れた日本語とされ下賎なものとされていたとおっしゃる根拠を知りたくってよ
ググっても出てきませんわ〜
>「てよだわ言葉」はそれがあらわれた明治中期、「下品な言葉遣い」としてマスコミから猛烈な非難を浴びた。それがなぜ一般の女性に普及したのかを説明した研究はほとんどない。さらに言えば、本当に一般の日本女性の間に普及しているのか検証した研究も少ない
ニアミスしておりますわ
あらあら~
明治時代の新聞・雑誌のコーパスを拝見したく思いますわね
>明治初期の新聞や雑誌掲載小説には、早くも男子学生と同じ「書生言葉」を使う女子学生たちを否定的に捉える言説が登場する。こうした具体例を挙げながら、女子学生と男子学生を言葉づかいによって分離しようとする動きに言及された。
>>続く「選択」のプロセスでは、女子学生にふさわしい言葉として「てよ・だわ言葉」が発見される。この普及に大きな力を及ぼしたのが言文一致体小説であった。当時の小説家たちは新たに出現した「女子学生」という存在を表象する方法を模索しており、そのなかで選ばれたのが、この「てよ・だわ言葉」なのだという。
>中村さんは当時の女子学生の言葉づかいが実際には多様であった点にも触れ、彼女たちが自ら「てよ・だわ言葉」を使ったためにこの言葉が女子学生の表象になったとは考えにくい、むしろ小説をはじめとするメディアの力によって、「つくられた」側面が大きいことに注意を促された。
>「てよ・だわ言葉」は新たに発見・創造された言葉であるがゆえに、次の第三過程では軽薄さの表象として貶められることとなる。
>中村さんが例に挙げてくださったのは、三宅花圃の小説『藪の鶯』(1888年)。登場する4人の女子学生たちを結婚肯定派(=規範的娘)と否定派(=軽薄な娘)に分けて彼女たちの言葉づかいを分析すると、結婚否定派の娘たちが「てよ・だわ言葉」の使い手として描かれており、新しい言葉を使う女性たちが冷ややかな眼で捉えられている様子がわかる。
甲女(篠原さん)ですワますヨ
英学を学んでおいでのお方ですワ
語尾が独特ですワ
語尾でところどころカタカナをお使いになるの、
夢野久作を思い出しますわネ
思いの外語尾でつかっておりませんでしてよ~!
乙女ございますございますヨいらっしゃられますまい
原著も確認できましてヨ
まことよろしい時代ですこと
素晴らしいですワ
ですワしか言ってねぇですワよ〜!
>ここでは「しとやかさ」や「女らしさ」とは対極の、「知識を身につけた軽薄な女」の象徴として「てよ・だわ言葉」が機能しているのだ。
出自
当時としては珍しかった
女学校からてよだわ言葉が生まれる
高等教育を受けられる女性は華族の子がほとんどだった
徳冨蘆花 不如帰 1990では女学校出身の「浪子」は「ですわ」を使っていますわ
当時は下品と言われることもあった
実際の更なる起源を示す資料はない
使われなくなっていく
学校が男女共学になる
華族制度の崩壊
キャラの特徴を手っ取り早く表現する
博士「〜なのじゃ」「ぞい」
博士言葉はどこから来た?
フィクションでも若い博士は使わない
つまり老人言葉の一種
老人は主人公を導く師匠のポジションで博士と似ている
> ・ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語) / 金水 敏