「何がしたい?」は批判ではない
世の中には「No」の意味で「何がしたいんだ?」という人がいるせいで言葉がネガティブなニュアンスに汚染されているけど、この問いは本来とても重要なものだと思う
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なぜかというと「何がしたいか」は基本的に個人の内面にある主観的な気持ちであって、それが十分に言語化されなければ他の人にはそれを理解できないから
理解できないまま「きっとこうしたいんだろう」を推測して話を進めると会話が有益なものにならない
子供に「なんでこんなことしたの?!」と怒ることで、こういう質問に怯える人が生まれているというのを見たことがある
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正直に理由を話したとしても余計怒られるし
こういう言い方する人って、大人になっても会話したくないタイプの人間だと思う
君はどうしたい?
リクルートしぐさ
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こわい
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