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論理的哲学論考

最初の前書きを終えた後に結論に入るんだけど、その書き方からかなり独特な本
悪くいうとめちゃくちゃキモい
主に内容は以下のもので、その後の章はこれらの詳しい解説にいる割いている構成

> 1. 世界とは、起きている事全てのことである。(ではなく、事実の総体であるとする)
注意すべき点として、1.1 世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。という概念がある
「犬とは何か?」を記述するのは、事物の総体では記述できない
bad事物の総体:イヌ科の動物の総称
good事実の総体:『犬は四つ足である』,『犬は尻尾がある』,『犬はワンワン吠える』
>1.11 世界は事実によって規定されている。その事実がすべて事実であることによって規定されている。
>1.13 論理空間のなかにある事実が、世界である。
>1.2 世界を分解すると、複数の事実になる。
こうして初めてアリストテレス的三段論法も成り立つのです

> 2. 起きている事、つまり事実とは、幾つかの事態が成り立っていることである。(事態+成立=>事実)
事態対象という概念が登場する
>2.01 事態は、対象(事柄、事物)が結合したものである。
対象は事柄と事物を含んだ概念ということです。
>2.011 事態の構成要素であることができるのは事物にとって本質的なことである。
事態のうち『そうである』ものが事実で、事態は『そうでない』ものまで含んだ概念です。

>2.1 私たちは事実の像をつくる
プラトンによる、洞窟の比喩に近い気がする

> 3. 事実の論理上の像が、思想(思惟されているもの、思考対象、思想内容)である。(事実/思想がパラレル。事態と思想ではない)
事実の論理像が考えである。という概念
>3.001「ある事態を考えることができる」とは、私たちがその事態の像をつくることができる、ということである。
考えられないことは、論理空間上に存在できない
「犬が走る」とかは簡単に想像できるし、「犬が宇宙に行く」とかも現実的には難しいかもしれないけど、論理空間上であればそれは考えることができる
ただ、『犬が半分になる』みたいな構築できない概念がある(これはものすごくメタで、ここで書けることであれば考えられることになる)
往々にして、考えられない事態というのは、人間にはその文字列が思考の意味をなさないことになる
> 3.01 真の考えの総体が世界の像である。
>3.1 命題では考えが感覚的に知覚できるよう表現されている。
>3.11 私たちは、命題という感覚的に記号(音声記号とか文字記号など)を、可能な状況を射影したものとして利用する。射影という方法は、命題=意味を考えることである。
> 3.12 私たちが考えを表現する記号のことを、私は命題記号と呼ぶ。そして命題とは、世界と射影関係にある命題記号のことである。


> 4. 思想は、意義を持つ命題である。
考えとは、有意味命題のこと
>4.001 命題たちの総体が、言語である
>4.002 人間には言語を構築する能力がある。
>4.003 哲学的なことについて書かれてきた命題や問いのほとんどは、まちがっているのではなく、ノンセンスである。
圧倒的否定!!!!!!!tkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshn
> だから私たちは、その種の問いに答えることなどできっこない。ただそれらがノンセンスであると確認することしかできない。哲学者たちの問いや命題のほとんどは、私たちが私たちの言語の論理を理解していないことにもとづいている。
> (それらは「善は美と、程度の差はあっても同一なのか」というような問いである)
> そして、もっとも深い問題が、じつは問題ですらないということも、驚くべきことではない。
お前らが今までに取り組んできた問題は、そもそも思考に用いる言語の論理性の問題であって、不毛なものだと一喝!tkgshntkgshntkgshn
4.004 すべての哲学言語批判である。
日常言語では同一の言語が異なった様式で用いられることがあり、そこから哲学全体に見られる基本的な混同が発生する。これを克服するには論理的文法を持った記号言語を構築する必要がある。
『答えられない問い』は、そもそも『前提条件が間違っている』という主張です。

> 5. 命題要素命題真理関数である。(要素は、自分自身の真理関数である。)
命題は要素命題が結合したもの
どんな複合命題も突き詰めれば『論理結合子によって要素命題が連結されたもの』であり『要素命題の真・偽によって複合命題の真・偽が決定される』とするのが真理関数の理論です。
(なんとなく雰囲気でわかると思うけども)『言語の論理構造が複雑過ぎる』から論理演算という概念を用いて計算によって真偽を明らかにする
>4.12 命題は、現実全体を描くことができる。けれども描くことのできないものがある。それは、現実を描くことができるために、命題が現実と共有する必要のあるもの――つまり、論理形式である。
>論理形式を描くことができるためには、命題といっしょに私たちは、論理の外側に、つまり世界の外側に、立つことができなければならないだろう。
>4.121 命題は、現実の論理形式をしめす。命題は、現実の論理形式を提示する。
> 4.122 しめされうるものは、言われえない。

> 6. 真理関数一般は、と書ける。これは命題の一般形式である。
そもそも問うことができるなら、その問いには答えることもできる。
アプリオリという概念が出てくる
>4.6 私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。

> 7. 語りえないことについては、沈黙するほかない。
命題 7この書物の掉尾を飾る命題7は補助命題を持たない。優美でいささか感動的な響きのある命題によってこの書物は閉じられる。「語りえぬものについては、ひとは沈黙に任せるほかない」。
よく、語りえぬものについては沈黙しなければならぬというワードだけが日の目を見がちだけど、それまでの経緯があるから面白いと思ってる
単純に文字列だけでもかっこいいけど、読んだ方がいい

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